不登校OK 第2弾

田辺 克之 

 不登校ということがどれほどつらいことか、それは本人でないとわからない。ときには自分を追いつめ、死を選ぶことさえある。そばで見ている親は、その変化に気づき、つらそうなわが子の姿にどう対処していいのか悩む日々が続く。親は、自分が体験したことがないことだけに子どもの気持ちを汲み取ることができず、いろいろな人のアドバイスにふりまわされることもある。子どもよりも親がパニックになるケースもみてきた。なぜこうなるのか、それは「子どもは学校にいくもの」という価値観が大きく影響している。学校に多くを期待せず、あてにしていない親は、子どもが学校を休んでもそれほど驚いたりしない。あわてて精神科にかけこむこともない。平凡だが「学校に行かなくてもオトナになれるんだから・・・」と平然と不登校を認められる親もいる。学校が必死に登校をうながし、親もそれに追随して追いつめると、逃げ場がなくなり、相談に乗ったカウンセラーがさらに追い討ちをかけると、もはや子どもは四面楚歌状況に置かれることになる。
 不登校の生徒とつきあって26年になるが、これはいつも古くて新しいテーマというか、20年前と同じ相談の電話がいまだに止まない。それほど市民が、文科省の「義務教育」という呪文に縛られているということであろう。学校だけが学びの場ではないと言える親がまだまだ少ない状況では、不登校生はいまだに肩身の狭いおもいですごさなければならない。いまやっと多様な学びを認め、フリースクールも学びの場として認可しようという機運が高まってきて、「多様な学び法案」的なものが国会でも議論されはじめている。しかしすべて教育委員会の監督下にあって満足な法案とは言いにくいが、フリースクールが国会でとりあげられるだけでも快挙というべきで、反対するものもいるが、もう一押しして、民間の学び場に光をあてる機会になればいいなと思う。

 いまさらながら声を大にして言わなければ、子どもの自殺は減少しない。学校だけが子どもたちの学びの場ではない。学校へは行かなくてもいいんだってこと、選べる時代が近づいてることをまず子どもたちに知らせなくてはならない。時代を先取りするのが子どもたちの権利なら、どんどん学校から飛び出して、自由に学べばいい。ところが、そういう流れに逆行するような事件が明石市内で起こっている。明石市教育委員会はホームページで「不登校ゼロ作戦」というページをたちあげ、毎月ニュースを更新している。最近の文科省の発表でわかったことだが、不登校の多くの原因が教師との人間関係にあることがわかったそうだ。それなら、対外向けの「不登校ゼロ作戦」ではなく、原因となる教師の質の向上にこそ力を入れるべきで、外に向かって泣き言をいうべきではないのだ。不登校生を追いつめ、人権侵害といえるような、害虫を駆除したり、麻薬を撲滅したり、暴力団を壊滅したりするのと同等の「ゼロ作戦」を提唱するような明石市教育委員会に文科省から大きなお灸をすえていただきたい。

多様な学び新聞記事

神戸新聞 2016年8月