狼なんて怖くない

ファッシズムに向かう日本

田中 英雄 

 今回の参議院選挙に関わって感じた重要なことは、 政治学者の白井さんが指摘する如く日本はファッシズムに向かっているということである。現職の議員が維新の会になんと10万票も離されて落選した。わたしは原発政策に明確な方針を出せない連合を推薦母体とする候補者に違和感を感じながらも、近づく憲法改悪阻止の一つの選択肢として勝手連的に深くかかわった。勝負は2, 3万の差ぐらいだと思って500人以上の人にはがきを出すまでした。勝利を確実にするために仲間と共産党の事務所に行き一本化を働きかけたが、狭い党の論理にとらわれた彼らは姿勢だけは丁寧だが、聞く耳を持たず近づく危機に鈍感だった。
 ファッシズムの到来をまるで高笑いするかのように、7月16日相模原障害者大量殺人事件が起きた。マスコミは植松個人の異常性をことさらに取り上げるだけであった。植松の思考、行為はナチスの優生思想そのものである。即ちナチスドイツの「安楽死計画」。
当時の医学会の権威たちが参加して計画的になされた障害者抹殺で2,000人以上が殺され、それはやがてユダヤ人の大量虐殺へとつながっていく。
 わたしたちが親しくしている止場学園では、障がい者は仲間であり、「共に」学びあう生活の場であり、植松のように「障害者は不幸を作ることしかできない」存在なのではない。

 冬のある日職員が鶏に水をやっている仲間をみると、水ではなく湯気のでるお湯をやっていた。「ニワトリさんも寒いからね」と言って笑っている仲間。冬になってもよく卵を産む鶏と温かい気持の仲間の話を読んで驚いた。止場学園では障がい者から様々なことを職員は教えられて明るく、温かく、働いていることがじんじん伝わってくる。
 ファッシズムの温床は何処にあるのだろうか。
今、日本ではこども6人に1人が貧困家庭で育っている。各地で子ども食堂や学習支援がひろがりつつある。貧困家庭のこどもが抱える問題は学力低下だけではない。
「友だちが解ける問題が分からず、自信をなくし、孤立する。」「壁にぶつかると直ぐに諦める」やがてそれが「困ったら直ぐ逃げる生き方が身についてしまった」という。
 ファッシズムを狼に例えてみればよく分かることを教えてくれたのは水野敬也の「三匹の子豚なう」である。狼は祖先のバカな狼がレンガの家で返り討ちになったことを反省し先ず、木の家の豚の家を吹き飛ばし、その豚をワラの家に追い込みやがてワラの家に向かう、ワラの家の豚は狼がいつか襲って来ることを予測し、狼をワラの家に歓迎し、welcomeの看板まで立てて狼を誘い込み、彼の警戒心を無くさせ、罠に落とすという痛快な物語である。そこで勝利したワラの家の豚が集まって来た人々にいう言葉がふるっている。ワラの家の子豚は「私たちの敵は狼だけではありません、失業率の上昇、資源の枯渇、政治不信である」「この状況を前にしてレンガの家を作るように、狼におびえながら身の守りを固め、家の中に閉じこもっていていいのでしょうか」「狼に立ち向かう姿勢こそが未来を切り拓いてくれるのです」と。いままで「三匹の子豚」物語でなまけ者として蔑視されてきた藁の家の子豚は資本主義の中では搾取されてきた階級で弱い貧しい藁の家に住んでいるが、そのワラの家の子豚こそが到来に立ち向かう目覚めた「豚」になり得る事を示唆している。
 久しぶりに「風の谷のナウシカ」を見た。水と風にこだわるナウシカ。その谷を強奪するべく現れた鉄と強力な火器で覆われた従来型の侵略者が、ナウシカの不思議な感性とオオムの子どもを助けようとする犠牲的な姿勢とオオムに傷を癒されていく姿に何かを感じて軍隊を撤退させるストーリーは、まるで原始キリスト教だなーと思った。今の基督教はやはり武器を建前としては否定しているが、歴史的には現実肯定してきたというほかはない。
 私たちは自分自身の中に弱さと罪を抱えている。それらを切り捨て清さと強靭さを得ることが善だと思いがちである。そして出来ない自分を責め、同時に他人にそれを要求する。弱さを打ち捨てさせる巨大な力と聖なるもの(例えば、お国のため)を待ち望みはじめる。
 以前の自民党は経済的に陽の当たらない業種や地方に仕事を振り向ける(悪しき例だが原発誘致)政策や経済的力でもってそれらの部分を包摂をしてきた。今やそれは出来ないどころか、逆に弱いものを搾取の対象とし、その不満を排外的に特定の外国に振り向けるべくマスコミを操作している。
 逆にわれわれは「包摂」されなくなった人たちとどれだけつながりあっていけるかを早急に考えるべきではないかと思う。考えて、そしてちいさなことから始めよう!出来ることは山ほどありそうに思う。

2016年10月15日