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豊洲問題から思い出したこと

高橋 智子 

 豊洲問題は連携不足で責任者の特定はできなかったと新聞で読んだ。しかし責任者が特定できないのはこの件だけではない。JR宝塚線の事故、明石歩道橋での事故、福島原発事故など次々と思い浮かぶ。国や件が関係している事故の場合、必ずと言っていい程責任者は出て来ない。高塚高校校門事件の場合も、門を押した教員は退職金無しで即退職になり、罰を受けた。しかし、校長は退職金も貰い、半年程早くはあったが定年退職のような形で辞めていった。職員会議で教員から出てくる問題点を何一つ解決しようともせず、教育委員会から言ってきた「安全教育の指定校」は受けた校長だった。職員会議ではこのような指定校になることは全ての教員が反対だった。余計な仕事が増えるだけだと。しかし校長は一人で受けたのだ。このような指定校はこれまで聞いたことがなかった。今思うと、教育委員会は高塚高校が危険な学校であることをわかっていたのではないか。
 石田僚子さんが亡くなる少し前に陸上部の生徒が投げた槍が肩に当たり、もう数センチずれていれば死亡していたかもしれない事故があった。私がたまたま図書室でその事故の話をしていたとき、その槍を投げたのは僕だと言ってその時の様子を話してくれた生徒がいた。槍を投げる方に生徒がいたので「危ないからあっちへ行って。」と避けさして槍を投げたら、槍が逸れて避けた子の肩に当ったのだそうだ。もう数センチで首に当たるところだったとか。「もし当っていたら、今、僕はここにはいませんよ。」と言った。
 運動場は放課後、多くの生徒がいろいろな競技の練習をしていた。野球のボールが当ったりして救急車がくることもよくあったと保健室の教員から聞いたことがある。陸上部の部員だけでも百人は超えていた。部活だけではなく、授業を組むのも難しく体育の教師は苦労していた。
プールを使う時も多くの生徒が泳ぐので水をきれいにする白い粉をよく振っていた。そのため眼が赤くなる生徒もいたと体育の教師が言っていた。水着に着替える更衣室も狭く、男子はプールの側で着替えていた。女子生徒の中にはトイレで着替えたり、家から着て来る生徒もいて、体育の教師は不衛生だと言っていた。
 こうして思い出してみると、東京電力が福島の原発に津波の予想を10mを超えてしていたように、高塚高校も一学年8学級規模の学校に一学年11学級、それも一学級47人も詰め込んだらどんなに危険かわかっていたのではないか。事故後、即、県教委は「一人の生徒と一人の教員の問題だ。」と声明した。県教委は関係ないと言いたかったのだろう。責任を追及されるのが怖かったに違い無い。
 電車も、道路も、運動場も、プールも、体育館も教室も廊下も生徒で溢れんばかりだった。朝の通学時間帯に道路が通れないと学校によく市民から文句の電話が掛かっていたそうだ。入学式や卒業式は保護者が来るので体育館に入り切れず、休みになる学年があった。
 こんなことを思い出していると、今からでも原因究明の第三者委員会を立ち上げ、真相を明らかにする必要があるのではないかと思ってくる。市民の側でできないことはない。実は、西神南にもう一つ高校を新設すべく、土地は買ってあったのだ。誰がどのような判断でそれをとりやめたのか。政治家が決めたのか。できていれば、高塚高校校門事件はなかった。信楽高原鉄道事故、JR宝塚線の事故、明石歩道橋事故など遺族のねばり強い真相究明の努力が明らかにしたことは多い。高塚高校校門事件についてマスコミは背景について一切報道しなかった。毎日新聞の記者から電話で、話が聞きたいと言ってきたので、「私の話を聞く前に背景について調べて下さい。」と言ったら来なかった。
 現在の高塚高校は事件があった時の半分位の生徒しかいない。7月6日に毎年、門前追悼集会があり、私も参加している。今年はパラソルをかざして校門を入っていく女生徒がいた。校門事件の頃のように門番の教師はいず、殺気立った雰囲気もなく、のびやかな様子だった。今さら真相究明してもという気もあるが、何かあったとき責任者がはっきりしないのはよくない。東京都の豊洲問題は日本の政治を可視化している。私は東京都で2年位と兵庫県で32年教員をしてきたが、教育(学校)は政治そのものだと思うようになった。東京の学校にいた時の東京都知事は社共共闘で当選した美濃部氏だった。50年前になるがとても民主的な学校だった。