26回目の朝

所 薫子 

 まさかこのような時代が来ようとは夢にも思わなかった。26年前、確かに校則は厳しく校門指導が多くの学校でされていた。神戸市の公立中学校男子は、丸刈り強制のままの所と自由になった地域と入り乱れていた。
 石田僚子さんが生きていたら41歳。子どもを持つ母親になっていただろうか。職場や家庭で中心的な存在になっていることだろう。15歳の子どもたちの生活は今、どうなっているのだろうか。
 26年目にして初めて、学校側が校門内の階段の上からではなく校門の外に出て、同じ位置で子どもたちが学校へ来るのを迎えた。新任の教頭と肩を並べて、毎年の門前追悼の式次第を説明し、何故カサブランカの花束を捧げるのか、カーネーションが並べられるのかを説明した。8時30分を過ぎて来る子どもたちに罵声を浴びさせることなく早退する子どもに対しても丁寧に対処されていた。
 僚子さんが亡くなって9年目の時、もうこの追悼はできなくなるかもしれないと思った。10周年の記念誌を有志でつくった。年4回の通信発行を友人たちの手を借りながら細々と手探りで続けた。7月6日の門前追悼を拳を振り上げるのでなく、地面にうずくまり文字を書くように静かに、続けることを願った。そして今年、30周年のことを今から準備しようとの声が出てきた。