AutophagyとAutopoiesis

森池 豊武

 2016年のノーベル生理学・医学賞は東京工業大学の大隅義典栄誉教授に贈られることが決定しました。オートは自分、ファジーは食べるというギリシャ語に由来します。自分自身を食べるという意味から(自食作用)と訳されています。
 一般的には、生き物が自分の細胞の中で不要なたんぱく質などを分解して必要な栄養素を得る仕組みで、あらゆる生物に共通する生命現象です。約60兆個の細胞からなる私たちの身体はほぼ2か月で新陳代謝しているといわれています。私たちの細胞内では、たんぱく質やミトコンドリアを分解し、アミノ酸などに変換する営みが、日々休むことなく行われています。人間の大人は毎日、体内で約200グラムのたんぱく質を生成します。食べ物から摂取するのは70グラムほどしかないと言われています。不足するたんぱく質は、オートファジーによって分解してできた原料で補っていることから、このオートファジーが作動しなければ、生命を維持することはできません。
 大隅教授らが細胞内の代謝の謎を解明した業績は高く評価されるものです。全ての人間が日々生かされている生命の驚くべき能力に感嘆せざるを得ません。
 よく似た概念としてオートポイエーシスがあります。オートは自己、ポイエーシスは生成というギリシャ語にに由来します。オートポイエーシスは(自己生成、自己創出)と訳されています。
 オートポイエーシスの概念は、1970年代にチリの生物学者、ウンベルト・マトゥラーナが、生物の有機構成を定義しようとして定式化したものです。「生命システムはシステムを成り立たせている要素を自ら生産し、かつ再生産し、そのことをとおして自己の統一性を定める、そういう能力によって特徴づけられる。システムの要素である個々の細胞は、システムの内部の作動のネットワークの産物なのである。したがって、外部からの介入の産物ではない。
 難しそうな定義ですが、人間の身体と有機体ではない自動車を比較すればはっきりします。人間はおおよそ60兆の細胞から構成されていますが、脳細胞、神経細胞、心臓、多くの内臓、筋肉、骨、手足、皮膚等どの部位も自ら生成しています。それに対して、自動車は何万もの部品から構成されていますが、それは外部(下請け企業)等から調達され、組み立てられてはいますが、自ら部品を生成することはありません。人間の心臓は、日々、再生されながら止まるまで(死ぬまで)動き続けます。自動車のエンジンは、寿命が来れば、新しいエンジンと交換をすることはできますが、自らエンジンを生成することはできません。
 いくらAI(人工知能)が発達し、IoT(物自体がインターネットでつながれた状態)が普及し、自動車の自動運転が可能になっても、生命(有機体)を成り立たしめているオートポイエーシスを実現することはできません。
 生物学の領域でもっぱら生命システムにのみ適用されていたオートポイエーシスという概念をドイツの社会学者ニクラス・ルーマンは、社会システムの理論に取り入れ、理論を彫磨してきました。彼の主著である「社会システム論」は、今世紀の最も優れた学問的成果ではないかと思っています。
 「彼は、新たなオートポイエーティック・システムとして、社会システムと心的システムを規定している。社会システムの作動はコミュニケーションであり、それは他のコミュニケーションに基づいて再生産され、それによってシステムの統一性を作り出します。社会システムの外部にはコミュニケーションは存在しない。心的システムの作動は思考である。意識システムの外部に思考は存在しない。生命システムの場合は、新たな細胞の産出をもたらす変換はあくまでも内部での変換である。生きている有機体の外部に細胞の産出活動は存在しない。
 同様のことは、オートポイエーティック・システムの他のタイプにも言える。社会システムの作動(コミュニケーション)は先行するコミュニケーションの産物であり、時々刻々、新たなコミュニケーションを引き起こす。社会システムの統一性は、あくまでコミュニケーションの回帰的な結合に基づいているのであって、例えばコミュニケーションに参加する意識システムの心的プロセスに基づいているのではない。ましてや有機体のプロセスに基づくのではない。
 生命、意識、コミュニケーションは、それぞれが固有の自立性を有するオートポイエーシスの別々の水準である。」
 壮大な理論を理解していただくには、膨大な紙幅が必要なため省略させていただきますが、聞きなれない、オートファジーは日々私たちの細胞内で、私たちの意思とは無関係に行われる現象であり、オートポイエーシスという生命現象の特質は、生命システムは自らを成り立たしめている要素を日々再生産することによってのみ存続しえるというものです。私たちの社会を成り立たしめている機序について基礎的な考察が不可欠であると感じております。