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「神戸電鉄朝鮮人労働者の像」の集い

飛田 雄一

 
神戸電鉄朝鮮人労働者の像 今年も10月26日に集いは開かれた。正午に神戸電鉄湊川駅北西徒歩10分のところにあるモニュメントに14名が集まった。
1966年11月にモニュメントは完成したが、その後毎年10月に「集い」を開いている。今年は所薫子さんも参加してくださった。
 神戸電鉄は鈴蘭台を経由して東には有名な観光地の有馬温泉や三田に、西には当初の主要な観光地であった広野ゴルフ場や三木に繋がる路線をもつ神戸の動脈のひとつである。現在も裏六甲の住宅地と市街地を結ぶ鉄道として多くの人に利用されている。
 神戸電鉄は神戸有馬電鉄(1927〜28年敷設)と三木電鉄(1936〜37年敷設)が1947年に合併して設立された。1920年代、30年代の敷設工事には多くの朝鮮人が従事していた。その人数は1200名から1800名と推定されている。山間を走る路線では多くの事故が起こったが、新聞記事から確認される死亡事故は次の5件、死亡者は13名である。
神戸電鉄朝鮮人労働者の像(地図) 1927年8月1日、二名、山田村下谷上、竹薮切取り工事中に土砂崩壊/1928年1月15日、二名、神戸市東山町四丁目東山トンネル東入口、夜間作業中/1928年5月7日、二名、山田村原野字奥谷、墜落した石の下敷/1928年10月23日、一名、烏原水源地奥、トロッコ同士衝突/1936年11月25日、六名、山田村藍那トンネル東入口、土砂崩壊。
 東山トンネルの事故は深夜工事中に起こり落盤事故で2名の朝鮮人労働者が死亡した。藍那トンネル事故は11名が生き埋めとなりそのうち6名が死亡するという神戸電鉄敷設工事最大の事故であった。犠牲者のうち金鳳斗と金東桂は慶尚南道固城出身の親子であった。
大阪毎日新聞/神戸電鉄朝鮮人労働者 神戸電鉄湊川駅の工事は後に埋め戻す工法で行われたが、1928年7月26日の大阪毎日新聞(神戸版)には「生くる悲哀/炎熱地獄に苦闘する鮮人(ママ)労働者の群がり」という記事とともに「炎天下に喘ぐ鮮人(ママ)労働者」という写真が掲載されている。また工事の過程で過酷な労働条件を反映して4回にわたって労働争議が起こっている。要求は「毎月一回の勘定支払」「飯場家賃の撤廃」などであるが、1927年に1200名の朝鮮人労働者が参加したストライキは戦前においても全国的にも有数の労働争議であった。(大阪毎日新聞記事参照)
 モニュメントのプレート(裏面)には、この13名の死亡時刻、場所が刻まれている。モニュメントは、金城実さんの作品で、朝鮮人労働者がツルハシを担いで働いている姿が彫られている。
「集い」ののち毎年懇親会が開かれる。場所は烏原貯水池公園、モニュメントからタクシーに分乗し途中ビールを買い込んで現場に向かう。1928年に死亡事故があった所でもある。今年のメニューはキムチ鍋、私が食事当番だ。例年は神戸電鉄敷設工事朝鮮人犠牲者を調査し追悼する会代表の徐根植さん(兵庫朝鮮関係研究会代表、ホルモン杉山店主)による焼肉の会だが、今年は私が担当した。
 「歴史を心に刻み、石に刻む」。私たちのスローガンだ。モニュメントは、単に学生たちのフィールドワーク訪問に具合がいいというだけではなく、目に見える形で歴史を残すという大きな意味を持っている。来年も「集い」が開かれる。ぜひご参加いただきたい。案内をほしいという方は、飛田 hida★ksyc.jp(★を@に変更して下さい) までメールをよろしくお願いします。

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