Home / 通信バックナンバー / No.84(2017年夏) / 勝手にシネマ 『君の名は。』

勝手にシネマ 『君の名は。』

塩見 正道 

『君の名は。』(新海誠監督作品)

 この通信読者のなかのどのくらいの人がこの映画を見ておられるのか分かりませんが、昨年夏に公開されるや若者のあいだで話題となり、『千と千尋の神隠し』に次ぐ歴代第2位の大ヒットとなったアニメ作品です。なにがこれほど彼らを惹きつけたのか。作品世界から見えてくるものを考えてみます。
 自分が寝ているあいだに意識が時空を超えて他人の肉体に宿り、他人の生活を生きる。ひとりは現在の東京に住む男子高校生。ひとりはの山間の村に住む女子高校生。このふたりの意識が一方通行ではなく、双方的に入れ替わる。そのあいだ性格が変わってしまい周りの友人が不思議がる。初めは異性の体を気持ち悪がっていたふたりだが、やがて相手の生活に惹かれ始め、自分の痕跡を残し、意識がもとにもどったときの相手にコンタクトを取ろうとする。だがその〈交信〉は、あるときぷっつりと途絶える。ここまでが序。
 そこにひっかかった青年は、少女が生活していた村がこの日本のどこかにあるはずだと探し始め、ついにその村をつきとめる。しかしその村は数年前の彗星の衝突によって消滅していた。
 理由を知った青年は衝突前の少女の肉体に宿るために山奥深くにある祠に入っていく。この展開を納得させるために少女は代々続く巫女という設定になっていて、青年は神事の日にちょうど少女に宿っていてその祠で神事を執り行ったという布石がある。かくして、少女の知らせで村人は全員が避難し奇跡的に助かったというパラレルワールドが生まれるが、この世界ではふたりのあいだに意識の相互交感はなぜか起こらない。
 どうですか。
 現実にはあり得ない。こう言ってしまえば元も子もありませんが、おそらく意識の無力さが、この映画世界の意識の自由さを憧れているのだろうと思います。
ポイントは、村人が助かった新たな世界ではふたりは互いの記憶を失っているという設定にあると思います。このどうしようもなさがこのファンタジーの新しさです。もし、社会を変えてしまったら、それはスーパーマンであり、あきらかに自分とは違います。主人公が自分と同じ無力な存在だから共感するのだと思います。
 傷つくことを恐れる繊細さを私はそこに感じます。勇気をもって、と言いたい。多くの若者が心の底では今の現実を息苦しく感じ、変わってほしいと願っているのではないでしょうか。でも現実は思っているだけでは変わりません。そして勇気は実際の行動によってしか身に着きません。この映画は、そうした勇気を観客の心に灯す一歩手前で足踏みしているように思います。

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