見台

公庄 れい 

 実家の義妹が古い見台が邪魔になっているので捨てたいんだけどと言ってきた。健康のためにとお謡いを習っている私はそれを貰うことにした。漆はところどころ剥げているが、しっかりした明治の物で、明治8年生まれの祖父が浄瑠璃に凝った頃の遺品である。
 祖父の若い頃、娘浄瑠璃がはやり、紀州の山奥の若者たちまで夢中にさせていたらしい。この近在で語り種になっているのは祖父の駆け落ちの一件であった。田舎まわりの浄瑠璃のお師匠さんにのぼせ上がった17才の祖父は、家中の有り金をかき集めてお師匠さんと駆け落ちした。尾道まで行ったところで横町でお師匠さんは姿を消してしまった。もちろんお金と一緒に。途方に暮れた少年を土地の人は交番に連れて行き、そこから在所の交番へ連絡が来て、家の者が旅費を持って迎えに行ったというのである。
 祖母と所帯を持ってからも祖父の浄瑠璃は続いていたようである。祖父が家に住まわせていた盲目の師匠の襟足のむだ毛を祖母は抜かされていたのだが、家事と百姓に忙しい祖母に、指で襟足を撫でながら「奥さん、ここにまだ残ってますえ」と言ったのが憎らしかったと、まだ幼い私に何度か言ったのを覚えている。
 浄瑠璃に凝ったのは祖父だけでなく村の若い衆の流行だったらしく、自分は才能があると天狗になっていた若い衆のひとりが大阪の文楽座まで行き、弟子入りを頼んだそうである。そこで一節語ってみろと言われ自慢の喉を披露したところ、その癖直すのに3年かかると言われてがっくりして帰ってきたのだという。そのせいかどうか私の子供の頃には祖父の浄瑠璃は聞いたことがなかった。ただ叔父が中学の寮に入った時、なにか余興をしろと言われて浄瑠璃を語ったのであだ名は即決で太夫となり、当時の友人達は何十年経っても太夫と言っていた。
 そんなことを思い出させてくれた見台には抽斗がついている。その中には変色し破れた 新聞のかけらのような物が入っていた。昭和2年10月15日の大阪朝日新聞の地方版である。破れているので何面かわからないが3段抜き横10センチの写真「ゴルフ御競技でスコットランドご滞在の際の李王両殿下」との見出しで、ソフト帽を手にされた殿下と狐の襟巻をされた妃殿下のお写真である。その少し下には“恋の蒋介石氏宋美麗嬢との婚約いよいよ成立15年来の望み叶ひ”の記事。これも3段抜きで横10センチの囲み記事、当時の読者の関心のありようが推し量られて興味深い。
 宋氏母堂の談として「蒋さんと娘の結婚問題は、去る3日有馬で蒋さんが私に会って結婚を願ったので承諾しました。それで蒋さんから私にエンゲージリングと腕時計を託しましたので、先日日本から帰るとすぐ娘に渡しておきました。」宋家は皆キリスト教だからあるいはキリスト教の儀式によるかもしれないことや、期日はまだ決していないことが続いて報じられている。
 宋美麗嬢は語る。「蒋さんとは5年前からの知り合いで、その間度々結婚を申し込まれましたが、今日やっと目的を達したわけです。私が蒋さんと一緒に日本へ行ったなどとは全く嘘です。」
 最後に記者はこう言っている。
 宋女史は英語に巧みで、英気決断尚武の気性がある。蒋氏はこんないい内助を得たから将来の仕事はさらに発展するに違いない。
 この蒋介石へのシンパシー溢れる記事。それから間なしに訪れる蒋介石との長い戦いを、私は生理的に呑み込みがたいのである。

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