憲法の亡くなる日

—–何故9条ばかりが問題にされているのか?—–

田中 英雄 

 改憲に反対する論者は何故9条ばかりを問題にするのか分からない。確かに9条に自衛隊を明記すれば1項の戦争放棄と2項の戦力の不保持・交戦権否認は死文化する。そして強行採決された安保関連法から言えば自衛艦はアメリカの艦船が攻撃を受ければ集団的自衛権を発動して「敵国」に戦端を開く可能性が現実的になる。と。
 ただ改憲派の論法から言えば自衛隊の存在そのものは現在は違憲状態であるが、災害救助に率先して国民のために働いているような自衛隊が違憲状態であるほうがおかしい。だからこれを明記しないのは自衛隊員には申し訳ない、だから明記するほうが当たり前である、といわれれば納得する人間のほうが多いのではないかと杞憂する。
 この程度の問題点を取り上げているだけでは改憲は成立してしまうだろう。
 もっと庶民に対し自民党改憲草案がもたらす生活面での庶民の死活門題に光を当てるべきである。即ち「公共の福祉」は削除され(12、22, 29条全て)かわりに24条に「家族は互いに助け合わなければならない」が登場する。これは超高齢化社会に向かう国家にはもうその予算は無い。自分たちでやれと。当然だろう!戦争の出来る国にするためになけなしの国家予算はかなり軍備に向けられる。福祉に回す余裕は切り詰められる。戦時体制下日本中町々には りめぐされたあのスローガン、「欲しがりません、勝つまでは!」を忘れてはいないだろうか。?
 戦争は軍隊だけで出来るものではない。私の姉は女学生の学徒動員で西明石の川﨑工場で戦闘機のリベット打ちさせられ、たまたま米軍の爆撃のあった日に下痢がひどく休んでいたお陰で死なずにすんだが、学友の大半は逃げるところを艦載機に銃撃され無残にも殺されたという。5歳の私は空襲警報が鳴る度に飛び起きて炒り豆を入れた缶と水筒をたすきがけに架け、防空 頭巾をかぶり姉や母と共に銃撃を受けないように深いどぶを歩き山中に掘られた横穴壕に逃げ込み爆撃に耐えたものである。明石の北に位置する太寺が絨毯爆撃された朝、壕から出た私たちの前をバラバラにされた真っ黒なたくさんの死体が戸板に乗せられ目の前を通り過ぎていった。中学生の兄は高射砲陣地で砲弾運びをしていたという。
 自民党改憲草案は将に戦時体制を予想して作成されている。「公共の福祉」の代わりに登場しているのが「公益および公の秩序」であるが「表現の自由」を規定している21条に2項が新設され【公益および公の秩序を害することを目的とした活動】や【結社】は認められない。とある、すなわち報道は検閲を受け自由な批判は不可能であろう。さらに戦後教育の土台である人間観が全く根こそぎ破壊されていることを教育界の人たちは気づいているだろうがなんと13条の「全て国民は個人としてされる」の個人が「人」に改竄されている
ヨーロッパ近代は人間が「個人」としてその生命を神から与えられたと気づいたところから始まっている。江戸時代中期の学者荻生徂徠は「弁道」のなかで「気質なるものは天の性なり」 と喝破している。
 このように自民党改憲草案は現在の憲法を根本的に変えてしまう。文言は似ているが思想的に戦前的な面が全体を覆っていることに危機感を感ずる。
 総選挙のとき与党は憲法改正の内容については意図的にほとんど触れなかったのはこの故であることを覚えておこう。

『自民党憲法改正草案にダメ出し食らわす!』

小林 節, 伊藤 真 編集 合同出版 2013年刊 1,404円 

<内容紹介>
自民党さん、馬鹿も休み休みに言いなさい!
二人の憲法の専門家が強烈赤点添削!
護憲論者の伊藤真と、改憲論者の小林節が、憲法改正に対する意見は違っていても、憲法は国家をしばるものという点において意気投合! 自民党の「憲法改正草案」のどういうところがダメなのか、現代の日本における憲法研究者の第一人者であり、草案作成のプロセスも知る2人が、徹底的に論じ合う。
立場を越えて憲法の原点に立ち返る、立憲主義宣言!

(2017年11月22日(水)午後6時より『ちびくろ保育園』で開かれた勉強会の資料です。)

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