Home / 通信バックナンバー / No.86(2018年夏) / 「限界集落」から生まれる未来

「限界集落」から生まれる未来

久貝 登美子 

 先日、三月半ばのことですが、富山県に住む娘から電話がかかってきました。娘のそばで3才の孫が話したがったようで、電話を交替。でも聞こえてくるのは「フニュフニュ・・・」と何を言っているのかわからない彼の声。「もしもし、何ですか?」と私。すると「もうはずかしい!」と彼。そこで娘が代わって三月の末に姫路に来るという話で、電話は終了。
 久しぶりに孫に会えるワクワク感と同時に、3才の彼の中ではすでに「はずかしい」という感情と、「はずかしい」という言葉が結びついていることにちょっとした驚きと感動を覚えました。
 例えば「りんご」なら、「りんご」という具体的な物と「りんご」という言葉(名前)が結びつくのはとても分かりやすい。でも「はずかしい」という感情を「はずかしい」という言葉で表すことができるというのは、なかなか高度なことです。子どもが成長していく過程でみせる能力は、本当にミラクルとしか言いようがありません。私たち大人も、そんなミラクルな過程を通ってきているのですけれども、サン・テグジュペリが言うように子どもだった時の事を、大人は忘れてしまいます。
 娘は、今、パートナーと子ども一人の三人家族で富山県の山の中、「限界集落」で暮らしています。そこは大きな谷すじに広がる村で、川の両側には、緩やかに棚田が続いています。でも現在は、その多くが耕作放棄されていて雑草が生い茂り、廃屋が点在しています。この村が元気だった頃を、映画のシーンが切り替わるように想像してみたくなります。
 そんな村で、十数年ぶりに誕生したのが我が孫なのです。町営の入浴だけの温泉施設があります。そこに娘と孫と行った時、出会った村の人たちが、皆、孫を知っていて優しく声をかけてくれました。そんな環境で育っていけるのは、都会ではなかなか得られない幸せなことだと思います。
 娘は、義務教育と呼ばれる期間を学校には行かず、ホームスクーリングで育ちました。娘のパートナーは、自然農を営み自給自足の暮らしの中で、教育も自給自足という家庭で育ちました。そんな二人が出会い、子どもが産まれ、パートナーの育った村で「半農半X」の暮らしをしています。
 近年、この村にもオーガニックな暮らしを求めて、若い子育てファミリーが移住してきています。そんな若い世代が、情報や物の交換を通してネットワークを作っています。まるでお金を介さない贈与経済で暮らしの一部が成り立っているように見えます。また、地元の自然を生かしたイベントや料理の研究など、いわゆる村おこしに若い世代が取り組んでいます。街で暮らし、消費文化から抜け出せない私たち親から見れば、娘たちの暮らしは新しい時代をつくり出す営みに思えます。

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