勝手にシネマ 『万引き家族』

2019年8月25日

塩見 正道 

『万引き家族』 監督・脚本・編集 是枝裕和

 今年のカンヌ映画祭でパルムドールを受賞し、大きな話題になりました。ご覧になられた方も多いでしょう。いかがでしたか。「良かった」という方が多いと思いますが、私ははっきり分からないところが多く、その全体像を掴みかねています。
 是枝監督はカンヌでのインタビューで、「産まないと親になれないのだろうか」という問いを立ててみたと語っています。このテーマを貧困家庭を舞台に構想したのが『万引き家族』です。分かりにくさの原因のひとつは、この設定にあります。
 血がつながってないこどもを育てている夫婦はたくさんおられます。育ての親の許で成長した人もたくさんおられるでしょう。そのなかには愛情深い人もいるでしょうし、そうでない人もいます。私の考えでは、愛情と血のつながりとは何の関係もありません。ところがこの映画世界では、貧困ゆえに、あるいは血がつながっていないがゆえに、こどもの親になれないと観客に感じさせる設定になっています。私はそこに違和感を感じます。この夫婦がこどもに対して行った行為は、本質的に「誘拐」であり、学齢期になっても就学させない「虐待」です。その側面が、「愛情」と「貧困」の陰で見えなくさせられています。
 分かりにくさのもうひとつの原因は、作劇法にあります。最近の映画作家に共通するものですが、「神の視点」にたって描く従来の作劇法ではなく、主人公の「個の視点」から見える「小さな物語」を描くという方法がとられています。是枝監督の手法は、複数の「小さな物語」をコラージュするというもので、それらの「小さな物語」には上位の「物語」がありません。だから、観客は登場人物の誰に対しても安心して身を任せることができません。是枝監督はそうした「不安」「不確実性」に現代のリアリティを見ているのでしょう。
 最初にあげた「誘拐」と「虐待」が見えにくい原因も、「個の視点」のみで描かれていることと無縁ではありません。この作品の主要な登場人物に、こどもを誘拐された夫婦や、警察官がいれば、見えるようになります。つまり、その種の登場人物はこの作品から慎重に排除されているのです。
 「個の視点」の重視は、個の視点の無批判な肯定とは違います。作家の透徹した目が「個の視点」の世界を見通していなければなりません。是枝監督は当然そのことを自覚しており、自らが作り出したこの夫婦のキャラクターについても知悉しているはずです。そのうえで、あえて「描かない」という判断を下しているはずなのですが、私には、この夫婦がなぜこのような生活に追い込まれたのか、なぜ心の傷を負っているのか、その内面の軌跡が見えてこないのです。国際的評価を受けた作品ではありますが、あえて私の疑問を記しておきます。


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