勝手にシネマ 『寝ても覚めても』

2019年8月15日

塩見 正道 

Contents

『寝ても覚めても』(2018年 日本)

監督 濱口竜介 原作 柴崎友香(「寝ても覚めても」)
主演 東出昌大(二役)、唐田えりか

 『万引き家族』の影でマスコミにはあまり取り上げられませんでしたが、昨年のカンヌ国際映画祭コンペティション部門に正式出品されたもう一つの日本映画があります。濱口竜介監督の初の商業映画作品『寝ても覚めても』です。
 恋に落ちた相手(麦・ばく)がふっといなくなってしまい、いらい麦のことが頭から離れない女性(朝子)が、麦に瓜二つの男性(亮平)に会うという状況を設定し、自分の感覚に正直に生きる朝子を透明なタッチで描いた柴崎友香の小説世界が、みごとに映画化されています。
 映画化にあたって様々な独創が試みられています。ひとつは東出昌大の二役の演技です。原作は、他人から見るとあまり似てないとなっているのですが、これをあえて同じ俳優に演じさせ、さらに演じ分けも禁じています。正に朝子の内心そのまま、「そっくり」という状態が表現されています。一人二役の映画は、『ふたりのベロニカ』(キェシロフスキー、1991年)の360°のパンニングショットなど、如何に一つのショット内に「二人」を同時に存在させるかというところに演出の「醍醐味」があるのですが、この作品でも、ふたりの結婚を祝う親しい友人同士の食事の席に突然麦が現れる場面をカットを割らず撮っています。もちろんこれはVFXによる合成に違いなく、CG以前の、どうして撮ったんだろうという興味は薄れてしまいましたが、それでもこのシーンはハラハラさせられます。朝子のなかで曖昧にしていたことが現実となり、絶体絶命、どうする? ここで朝子は何も言わず麦の手をとって逃げます。友人はあっけにとられ、怒り、反対します。誰もがそう思うでしょう。しかし朝子は違ったのです。
 もうひとつは東日本大震災を加えていることです(原作は震災前に書かれています。)。単に舞台として描かれるだけでなく、この恋愛が紛れもなく「震災後」の精神性をもっているのです。麦と逃げた朝子が三陸の巨大防潮堤の前で眠りから覚め、運転席の麦に「これ以上行かれへん」と告げ、麦は「そうか」と応えます。そして、ひとり車を降り防潮堤の上に登って海を見つめます。突然戻ってきた朝子を亮平が許すはずがありません。それでも「許してもらえるとは思ってない。だから謝らへん。でも、一緒に住みたい」と訴える朝子。不思議な恋愛映画です。私はここに「震災後」を感じたのです。
 この映画は2階のベランダから前を流れる小川を見つめる二人を正面から捉えたショットで終わります。この二人の位置が牛腸茂雄の年老いた夫婦の写真と重なってきます。二人が出会う牛腸茂雄の写真展も、濱口監督の独創です。


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