文化

よりよき明日のために 神戸ビエンナーレ「STOP & CHANGE」から考える

島田 誠

はじめに考えたこと

昨年11月23日に「第5回神戸ビエンナーレ2015」が終了しました。私は2007年の第1回のスタートから神戸ビエンナーレを観察して批判的に書いてきました。神戸という街は開放的で自由に見えて、じつは堅牢に組織化された村的風土を濃く残しています。「神戸ビエンナーレ」はそこにしっかり根をはって存在しています。既存の組織や団体をベースにすればその限界が全体を規定してしまいます。組織が存在すること、そしてそれが内向きで互助会的な性格を帯びることはいわば普遍的真理といってもいいほどの日常です。
ならばその日常と折り合いをつけながら提言し緩やかに改革していくことが現実的なやり方ではないか。私のやり方は過激で対立を煽るだけで却って分断を招くだけではないかと多くの方が考えられ批判されもしました。しかし、この神戸独特の村的風土はどのような性格をもちどのような弊害を生み、何故、是正されていないのかは論じられてきませんでした。

文化活動における組織のありかた

 組織の最たるものは国会を頂点とする行政府であり、民間では企業であり、あらゆる分野における組織が存在し、どこにも属さない自由人こそ稀です。組織には目的があり意義を有するからこそ存在するわけですが、その内に当然のことですが構成員にたいする「利」を含むことから互助会的性格を持つことを免れることは難しく、それは排他性を帯びることとなります。だからこそ、それを免れるための仕組みを叡智として生み出してきました。
ところが芸術文化に関る組織はその仕組みを持たないか、型式にすぎないことが多く、芸術文化の本質としての社会性や創造性よりは互助性や体制への保守性が際立ってくるのです。
 私は神戸学術文化会議(通称・神戸芸文)の改革を当時の議長の服部正さんから託されて改革に取り組んだことがあります。
神戸芸文は1973年の宮崎辰雄と砂田重民が争い革新自治体と呼ばれ、後に後悔することになる神戸空港建設の撤回を敢行した神戸市長選で、選挙対策のように宮崎氏によって誕生しました。そのことが刻印した遺伝子が芸術文化会議を自立性のない会員互助と市政への協力を旨とする文化村に甘んじさせ続けました。服部正さんは世代交代して創造的な文化的風土に変えられる組織にしたいという願いをもち、私は1990年頃から取り組み1993年、芸文の20周年を機に、民主的な運営を目指して、会員全員の選挙による運営委員の選任、運営委員の互選による常任委員の選出、常任委員の互選による議長、副議長の選任と重任制限などを決めました。さらに、単なる親睦団体ではなく、アドボカシー(政策提案)の機能をはたすべく四つの専門委員会の設置が決まりました。
 また、神戸市政に大きな影響力を持ち続けてきたのは「神戸市婦人団体協議会」でした。こうした組織そのものは社会目的として活動することそのものには大きな意義を有し合理性を持つものですが、権力を持つ側、とりわけ首長にとっては「票田」でもあり、その力が行政を縛る「諸刃の剣」を抱くことになりました。
「神戸芸文」はある意味では活発な文化団体であるより、ゆるく存在し「票田」であり続けることを期待され、そこから派生した「兵庫・神戸CSの会」や「兵庫県いけばな協会」も同根の上で県市への影響力を行使つづけているのです。ここに上げた組織すべてが否定されるべきものと言っているわけではありません。しかし、恣意的な運用や癒着による多くの弊害が指摘されることは糾さなければなりません。

問題を提起すること

 私は「元町場外馬券場反対運動」「元町商店街の改革」「神戸芸文改革」、「六甲シンフォニーホール反対」「神戸空港反対」などに関ってきたので「過激派」あるいは神戸市の「天敵」と思われ、事実そのように遇されてもきました。しかし、こうした活動を行なってきた時に、わたしは単なる個人でも企業者でもなく、それぞれの組織の要職にあったので、単なる批判者ではなく、当事者としてその問題についての反対や改革であったのです。そして今回と同じように、それぞれについて本に書いたり、記録を残してきました。それは自らの発言や行動に責任を持つという表明に他なりません。

今回の神戸ビエンナーレ「STOP & CHANGE」についても、こうした流れを受けた「神戸のよりよき明日」への行動で、まずは私の「考察」を発表し、それをベースにして「署名活動」を展開しました。

問題を解決することよりも、問題を見出すこと、したがって問題を提起することの方が肝心なのである。アンリ・ベルグソン
面倒な問題に直面したとき、「そういうことだったのか」と、問題と見えているものの隠された前提に気づくことが、しばしば解決の糸口になる。与えられた問題の解を探るより、問題をきちんと立てることのほうが重要だし、また難しい。真の問題は創造されるものだと、哲学者は言う。

(「思想と動くもの」(矢内原伊作訳)から)

私たちの活動中に朝日新聞の「折々の言葉」で鷲田清一さんが紹介されていました。

私の「考察」は「あるべき論」ではありません。また、ではどうするのかという「ビジョン」も簡単に書いただけです。程度の低い「評論」として滔々と自説を述べる多くの方に一人一人に私の意図を説明せねばならず、また説明しようとしても「聞く耳もたず」で、ただ勝手な思い込みだけで判断され孤独感を味わいました。「あるべき論」「ビジョン」も絵に描いた餅では「STOP & CHANGE」を迫ることは出来ず、ただすれ違うか、無視され、言ってる本人の自己満足に付き合わされるだけに終わるのです。

運動の壁

神戸ビエンナーレ2015の終了が11月23日。私の「考察」原稿が12月1日。そこから整理し発表できるものが出来たのが12月15日。最初の会合が23日。すぐに年末年始。2016年1月4日に署名運動の取り組みの概要を協議。その結論として、市長の予算案の議会説明日程から2月中旬に判断が出ると推測し、猛スピードで走りだしました。

この運動の壁を列挙すると

  • 神戸ビエンナーレを見たことがないし関心もない
  • 自分も関っている。
  • 市長への異議申し立てに抵抗感がある。(単に「いいね」とクリックするだけならやりやすい)
  • どうせやっても無駄。こうした署名で止まるわけがない。対立を深めるだけ。
  • 「あるべき論」「未来ビジョン」がない。    などなど。

私たちの予見
2月18日に神戸市の2016年度予算案について発表がありビエンナーレの中止が新聞に報じられました。
「STOP & CHANGE」という神戸ビエンナーレとそれを担った組織の変革を求める活動の目的は果されましたが私たちは確かな情報により、この結果を予見していました。私たちが問題の所在を認識しその意思を表明し行動することが主体的な市民意識としてなによりも大切なことであると思います。
その結果を生みだしたのは複合的要因によるものです。私がメディアにインタビューやコメントを求められて応じなかったのは私たちの役割は一部に過ぎないことを知っているが故です。

市民による異議申し立て

 行政の長に対し、直接、異議申し立てをすることを憚かる風潮があります。そしてそれは国や総理、大臣、議員と遠い存在になれば抽象化されて異議申し立てに違和感は少なくなりますが、知事、市長、区長や担当部署となれば、役所を含めての損得関係の存在を意識してしまうのか匿名性のなかに潜むか、擦り寄ることになります。

自分のコミュニティーのなかに、市民参画型、市民提案型の草の根民主主義を拡大してほしい。そのためにはボランティアが、チャリティー(慈善)にとどまることなく、ジャスティス(公正)の実現のためになってほしい。コミュニティー形成、つまり市民社会の創造や開発を、ボランタリズム(異議申し立て、主権在民)をベースに実現していくことをともに実践したい。  草地賢一

私は5月27日刊行の予定の「ひとびとの精神史」第8巻(岩波書店)に「1990年代における『新しいつながりを求めて』の章で「草地賢一 神戸からボランティア元年を拓く」を書いています。「ひとびとの精神史」は第2次世界大戦の敗戦以降、現在に至るまでのそれぞれの時代に、この国のひとびとの生き方、考え方を通して精神史的に探求する試みです。
私は草地さんのボランタリズムを愚直に実践してきました。その損得勘定は「半ば」ではないかと思います。「半分の人を敵に回すくらいでないと、いい仕事はできねえぞ」と言ったのは白洲次郎です。「得」を目指して大切なものを失うのであれば「半ば損」であっても気持ちよく生きたいものです。多くの人が、私が「過激な批判派」として行政や経済界から遠ざけられていると思っているようですが、そんなことはありません。
企業人としてなんの障害も感じたことはありませんし、もともと行政に頼ることは何もありません。「加川広重巨大絵画が繋ぐ東北と神戸」のプロジェクトでは最も協力的であったのは市、県、そして財界です。内容次第では協力者でもあるのです。
草地のいう「不正義」と闘うボランタリズム(異議申し立て、主権在民)が阪神大震災で新しい市民社会を拓いてきたのだとすれば私たちはもっと責任をもって発言をせねばならないと思います。

草地さんや黒田裕子さんらの優れた実践行動派のリーダーたちが、「官から頼まれてもやらない、官から頼まれなくてもやる」といったボランティアの思想を創りあげていった。
公平、理屈、効率といった「官」の論理にはとらわれず、そこに必要があれば行動するボランティアの論理は、やがて災害対策だけではなく、官が立ち入ることのできないあらゆる分野で、新しい社会システムを動かし始めるところとなり、95年は「ボランティア元年」と言われるようになった。「特定非営利活動促進法(NPO法)」の制定まで繋がり、成熟した市民社会が広がるところとなったのである。

(貝原俊民元兵庫県知事の「私の自叙伝」から)

「行政は、市民をもっと信頼してもいい」
私も登壇していた1996年6月に神戸で開かれた総理府の地方分権委員会(委員長・諸井虔秩父セメント会長)で貝原知事は冒頭の挨拶で新しい社会未来図に責任も義務も併せ持つ「市民力」へ期待し、自立と協働を呼びかけたのです。
「市民は行政をもっと信頼してもいい」
私たちも依存し期待するだけでなく主体的に発言し異議を唱え、糾すべきは糾しながら、何より自立した市民としての行動に責任を持たねばなりません。

結語として

よりよき明日のために、それぞれが身近なところから発言し行動していきましょう。
過去の活動でも、今回の活動でも、しっかりとした判断を迫られるときに、その人の人間性があぶり出しのように、普段は見えないものが鮮明に見えてきます。

学問に、あるいは芸術に専念して政治からは顔をそむけるふりをしながら彼らが演じてしまう悪質の政治的役割がどんなものかを、あえてここで列挙しようとは思わぬが……。
 混乱に対して共感を示さずにおくことの演じうる政治性に無自覚であることの高度の政治的選択。

(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)

身の周りにおいても、近隣においても、地域においても、地方においても、国においても、ゆるがせにせず、ないがしろにせず、無自覚を装わず、当事者としての自覚で考え抜いていきましょう。

Last Updated on 2020年9月27日 by manager

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