保育・教育

言いたいこと、言うべきことは山のようにある

ーきょうは ちょっとだけー

平野 広朗

 とうとうヤキが回ってきたのか、近ごろやけに穏やかだ。20年も教師をやっているとボケてきて怒りの源泉が涸れてくるのだろうか。昔みたいに職場会議でジジイ教師から「若造」呼ばわりされることも亡くなった。あのときはおもしろかったね。1986年か7年のことだ。
 当時は、ぼくの学校には具体的な服装規定というのがなかった。定時制高校だから「制服」も「パーマ禁止」もなかった。それなのにアロハシャツがいけないだの、戦闘ズボンがいけないだの、半ズボンがいかんだのと、見つけ次第ビンタをはついて学校をシメてる気になってた「生徒指導」のボスがいた。彼と取っ組み合いのケンカをする夢を何度も見たものだ。
 現実には乱闘はしなかったが、職員会議で「規定にないことをあれこれ言わないでほしい。ぼくの担任クラスの生徒には口出ししないでください」と「宣言」を突きつけた。これが85年の5月か6月だったと思う。すると間もなく校長から呼び出しがあって、「教師がそんな髪型では、生徒指導しにくくて困ると苦情が出ている。次に床屋に行くときに考えてほしい」とやんわりとした注意を受けたのだが、ぼくがこのいきさつを「学級新聞」(といっても、ぼくがひとりで作ってクラスに配ってただけ。ほかの教師はこんなことしないし、ぼくも今では作らない)で暴露して、他のクラスにもバラまこうとしたところから、にわかに校内が殺気立って…85年7月26日付朝日新聞が「先生はモヒカン刈り」という記事を載せたのは、じつはこういう校内事情が伏線にあったのだが、東京版では「モヒカン先生、突っ張る」なんて見出しを付けていて、明らかにぼくを「問題教師」視しようとしていた。
 話せば長くなるので大方はしょるが、このときの校内の緊迫した空気は今思い返してもゾクゾクする。たかが髪型くらいのことで。ただ左右の側頭部をハサミで濃淡の段々畑状に刈り上げていただけだ。美的かどうかの判断はひとに任す。ぼくだって、よくわからん。だが、まあそんな遊び心があってもいいじゃないか、ということだったのに、夏休み中の研修会に遅刻して行ったら、ぼくが部屋に入ったとたん一瞬にして空気が凍りついて息するのもしんどいくらいになってしまった。ーーまあ、そんなわけで「服装に関する小委員会」ができて、あれこれすったもんだしたわけだ。「頭髪脱色禁止」「ぞうり履禁止」の二項目だけだったのがめっけもんだが、ぼくはそれにも反対した。そしたら冒頭でふれたジジイの登場だ。「あれだけみんなに迷惑かけときながらいまだにひとことのおわびもない。そんな無責任な若造に『自由、自由』言う資格はない」ということだそうだ。「私は迷惑をこうむったとは思っていない。憲法が保障する『表現の自由』について考える好機が与えられたと考える」と、同じく年配の教師が応じてその場は収まったのだが、ぼくは黙っていた。だってジジイはぼくのこと名前を挙げて批判しなかったからだ。「新聞で騒がれた先生」みたいな歯にもののはさまったようなことしか言えない腰抜け野郎に応える言葉はもたない(以後も何度か職会で批判されたが、名指しだったのは一回だけ。受けて立ったのも一回だけ)。それにぼくが御返事申し上げたとしたら、「テメーなんかに迷惑かけたなんて思っちゃいない。ひとの髪の毛のことでゴチャゴチャ騒ぐな」ということになって、それこそ乱闘が始まったろう。
 ったく。教師てやつは…服装規定の議論の中で、ぼくが「どんな髪型しようと、もち主の自由だ」と言えば「日本人なら黒いのが当たり前でしょ」、「高温多湿の日本の気候で靴を強制するのはおかしい」と言えば「たしかに剣道では裸足でやるので水虫にならない。でもぞうり履は高校生らしくない」…お前らバカか、と言いたくなるのをグッと押える。自分の頭の中だけにある「好み」や「センス」の貧しさを他人に押しつけるな。学校の規則の大半のものに、正当な根拠はない。教師の度量の狭さが顔を出しているだけだ。教師たちよ、もっと大きな人間になれ。
 といいつつ、ぼくだって教師のはしくれだ。これだけ教師という人種を嫌い失望していながら教師をやっているなんて大いなる矛盾だ。だから、ヤケっぱちで言ってしまおう。「メシを食うためだ。悪いか」ーー聖なる教師様はそんな下品なことは言ってはいけません、みたいなのは、大分薄れてきただろうか。しかし、やっぱり堂々と開き直るのは後ろめたい。
 「髪の脱色禁止」は96年度から、「ぞうり履禁止」は今年度からあっさり撤廃された。それみたことか。教師の恣意は駆逐される。でも、この10年間日和ってたぼくはやはり後ろめたい。

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