学校事故・事件

学校に市民社会の風を〔1〕ー高塚高校事件から学ぶー

橋本 幸子

 一九九九年一月二十日。この日は四十余年の長い教師生活の最後の授業であった。悲喜こもごもの教師生活が七七歳になるまで続いたのは、ただただ私は人間が好きだったんだと思う。教室の生徒の顔が浮かんでくる。

 私が高校の現場を離れたのは一九八三年(昭和五十八年)であった。はや十六年も昔のことになる。当時といえども平穏無事であったわけではなくて、私が担任した生徒の中には親に殺意を持つ生徒やら、喫煙で処分される生徒、シンナー遊びの女リーダー、出生を悩んで自殺した女生徒もあった。
 忘れられないのは複数生徒の退学処分をした直後の学校火災や、2・19事件と称する男女生徒の集団暴力事件で、死者こそなかったが重傷者が出た事件にも遭遇したことだ。
 私は生徒から危害を受けたことはないが、階段から突き落されて骨折をした女教師があった。
 このように生徒が荒れる中で、心ある教師は真剣に取り組んだ。教師が必死になればなるほど生徒は裏口に廻る。暴力が影を潜めると今度はアジトを作って男女が夜遊びをするようになるなど、教師の努力は火に水をかけるだけで、くすぶり続ける火種を消すことは不可能だった。この延長線上に今日の教育の退廃がある。

県立神戸高塚高校の「女子生徒校門圧死事件」に関わる中で学んだことー

 一九九◯年七月六日の朝、教師の閉めた扉に頭をはさまれて十六歳の命が奪われた事件から早九年過ぎた。
この事件直後「育友会全体会議の録音テープの公開」を要求した弁護士、教師・父母たちの要望を拒否した兵庫県教育委員会、学校長を相手に訴訟を起こしたのは一九九一年二月二十八日であった。この訴訟に並行して校門門扉強制撤去の損害賠償請求訴訟も行なわれたが、いずれも一・二審とも敗訴し、最高裁まで上告した。
 この事件に関わった一人として私は「若い命の無念さ」をおもい、引き下がれなくて「こんな悲しい事件を二度と起こさないように」と叫んでいるであろう少女の霊に引かれて、最後まで裁判に参加した。
 以降今日までに、風の子学園における「生徒虐待事件」、龍野小における体罰を苦にした「小学生自殺事件」、県立吉川高校生の「同級生殺害事件」、県立神戸商業高校のいじめを苦にした「女子生徒自殺事件」、相生中学生による「先輩殺害事件」、世間を震撼させた残忍な須磨の「児童殺害事件」等々、続発する事件に兵庫の教育は全国的に問われるところとなった。
 風の子学園の「生徒虐待事件」は原告が勝訴したが被告は上告した。その他の事件も裁判続行中である。
 昨年(一九九八年五月)には栃木県で少年のナイフによる教諭殺傷事件が起きている。隣の大阪市でも中学でナイフによる刺傷事件があった。
 「ムカツク」「キレル」生徒によって次々と起こる事件は兵庫の子供に限ったことではない。教師による非教育的差別や暴力も裁判沙汰にならないだけで日常的に現場にはある。
 私は一九九五年、阪神大震災と時を同じくして、暴力を是とする狂信的な「オウム教」の信者たちが「サリン」で集団殺りく事件を起こしたことを忘れない。この事件の関係者には最高学府出身のエリート族もいるわけで、日本の国のみか世界の関心を集めた事件を通して、日本社会の病理の深さを知るのだが、この社会的包囲の中に深刻な学校教育の「荒れ」もあると思っている。

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