学校事故・事件

学校に市民社会の風を〔2〕ー荒れる心をみつめてー

橋本 幸子

 昨年(一九九八年)十二月、文部省がまとめた児童・生徒の問題行動調査によれば、全国公立小・中・高校生による「暴力行為」は約二万九千件起きている。大半を占める中学校の場合約三割の学校で校内暴力が発生したことになる。実際はこの数十倍はあるだろう。
 兵庫県に限ると、対教師暴力が小学校校内で一九三件、中学校校内で三◯七四件、校外を加えると三七五三件他に、生徒間暴力は小学校六二四件、中学校校内八八七三件、校外二一八六件、高校校内二九四三件、校外八六四件、計一五四九六件である。器物破損も小学校四七六件、中学校六一一三件、高校七八二件、計七.三七一件に及ぶ。
 教育の現場は昨今授業が困難になっていると知る。
 私の記憶の限りでは、教師が生徒の暴力に辟易して職場を去ったという例はなかったが昨今は荒れる生徒に苦悩して若い教師が転職したり、退職間際の教師は嫌気がさして早々と退職すると聞いている。
 荒れる生徒の特徴は集団から孤立し、“個”としてストレス発散の遊び感覚で突発的に単独行動を起こしている。しかとした反抗の目的も動機も曖昧で暴力に罪の意識も薄い。
 片や「いじめ」の蔓延する学校である。教師は「不登校生徒」にも苦悩しているが、いずれの生徒にしても学校の存在理由が分からないそんな子供を抱えて教師の努力も限界だろうと思われる。
 権威に従順な人間であることを生徒指導の目標にした学校の存在は、最早都市化や核家族化で日本の社会が大きく変容した中では価値の変換をせまられている。
 すさんだ学校現場に学校の存在価値を新しく作らなければならないと思うのだがー。

 今の子供に対する大人の意識は、大人ッポイが極度にわがままだということである。しかし子供は大人以上にデリケートな感受性と要求を持ち、自分が他者に正当に承認されない不安に応えを求めているのである。この不安に応えてくれない大人(学校)に対する人間的な抗議の要素が子供の荒れの背景にある。

 自己中心的な「個」として成長した子供らに社会の正しい作り方は分からない。だから今こそ子供らに人間は互いに異質な個々人であっても自由な同意に基づいて社会(学校)のルール作りは可能であること、このルールに即して互いに権利と義務を承認することから共感や信頼が生まれることを教えなければならないだろう。
 しかし、学力一辺倒の日本の学校教育でこうした市民育成型の教育は公的課題になり難い。子供の荒れがこのことに対する「未来の市民の抗議」と受けとめると、学校教育の意義と課題は以前にもまして大きくなっているのだが・・・。

 今の学校現場に於いてこうした方向転換が可能であろうか、誠に心もとないのである。
 私は四十余年の教師生活で、子供と向きあうのが教師の仕事であると信じ、将来の市民(生活者)に人間愛と必要な知識・技能を教えることを務めと心得てきたつもりである。しかし、学校教育法をはじめ日本の教育法規には「教師」の規定が何もないということを知った。
 「今の学校現場には、もう自分を支えるものがない」と訴える教師が多い。無理もないと思う。戦後の一時期は地域住民による教育委員は公選制であった。この体制下では教師は文部行政から相対的に独立し、自らの総意と責任で子供の教育にあたる自由が大幅に保障された。当時は教師は「学校制度を守らなければならないと言うような強迫観念もなかったし、自由に子供とつきあえた。子どもの信頼を得ると子供が教師の「支え」になる。八鹿高校事件を思い出すが迫害された教師の安否を一番気遣ったのは生徒であり、その父兄であった。生徒の支えに励まされた良き時代の教師像である。
 教育するとは教師と生徒が夢や理想を語り合い、誠実を胸に信頼関係を持つことがまず必要ではないか、ところが昨今は学校・地域・警察が一体となって子供を監視し、教師は管理教育の体制下にあって、学校制度の維持要員となり、あたりさわりなく努めることが安全な道になっている。

 一九七◯年代にいじめなど学校の危機として始まった事態は、昨年十二月開かれた教育研究全国集会の報告により更に危機状態を深めクラス崩壊・授業崩壊の無秩序状態が報告されている。
 私はこの交流会で一保護者の発言に触発された。「先生はどんな授業がしたいのか、文部省でも教育委員会でも行きますよ。」というのである。この婦人は管理教育の実体を熟知しての発言とうけとれた。

 私は高塚高校の事件を通して管理教育の何たるかを知った。当の管理体制に忠実だった教師は戒告処分を受け追放されたが校長にも県教委にも刑事罰はなかった。

 学校事件の大半は起こるべくして起こっている。子供と向き合う最前線にいある意欲ある教師たちの自主的な活動の余地を保障し、教師が「自分を支えてくれる市民がある」と確信できるような精神的支援を望みたい。市民の声が教育委員会の公選制度を復活させることも夢ではない。

一九九九・二・三

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