学校事故・事件

兵庫県立龍野高校テニス部熱中症事故について

熱中症事故でわが子の未来が奪われて

聞き手 小野田 正利(大阪大学大学院教授)
『季刊 教育法 187号』インタビュー記事より

熱中症事故の被害者・梨沙さんのご両親

梨沙さんのご両親*私と梨沙さんのご両親との出会いは、6年前に私の講演会場設営で、お父さまが準備されていたことから始まります。その際に、梨沙さんのことをお聞きしたのですが、直接に病院とご自宅を訪問させていただいたのは、神戸地裁への提訴(2010年4月)から半年後でした。学校側だけではなく、事故被害者の家族の視点からも考察する必要があると思い、10年12月4日には、私が主宰している科学研究費による研究会(学校保護者関係研究会)にお父様をゲストスピーカーとしてお招きし、「学校事故被害者の家族の立場から見た学校側の行為や行動の問題点」について理解を深めていきました。その後に私は、連載をしている『内外教育』誌(時事通信社発行)に「事故の被害者に映る『学校』」(11年6月17日号)、および『月刊高校教育』誌(学事出版)に「事故被害者とのミゾはどこから生まれるのか」(11年11月号)を書いたという経緯もあります。
今回、5年ぶりに梨沙さんのご両親に連絡をとり、再びご自宅を訪問させていただきインタビューとなりました。前回と大きく違ったのは、当事者の梨沙さんも身体を固定する大きな椅子に座り、私たちの話し合いの様子を眺めていたことでした。目は見えませんが耳は聞こえるそうです。別室のベッドの中ではなく「当事者の梨沙さんも一緒に話に加わっているんだよ」というご両親の配慮の温かさを感じた時間でした。

倒れた娘と対面するまで

小野田 07年5月24日に当時・高校2年生の娘の梨沙さんがテニス部の練習中に熱中症を発症して重度の後遺症が残り、ご家族の献身的な介護の下で、いまなお懸命に生きておられます。そして梨沙さんとご両親はこの事故を巡って事故原因の究明と学校の責任を問う裁判をたたかっておられます。一審判決は敗訴でしたが、今年(15年)になっての高裁では逆転勝訴。しかし、兵庫県側が上告したために裁判が続いている状態です。
今回のインタビューでは、特に事故から今日までの8年半という長い年月の中で、当時者としての思いや怒り、そして不安、裁判の経過などを伺いたいと思っております。まずは5月24日当時の様子をお話しいただけますか。
 まず、学校ではなく同級生から娘がテニスコートで倒れたと電話がかかってきました。朝は元気に家を出たので特に慌てることなく、貧血でも起こしたのかなと。そのときは、地元の病院(栗原病院)の整形外科に搬送されると言われました。でも病院に着いたら物凄く緊迫した状態で他の病院(兵庫県立姫路循環器病センター)に転送すると言われるし、まさか命に関わることが部活動で起こるとは思いもしませんでした。
 妻からの電話では「娘が倒れて病院に運ばれたから行くわね」と深刻な様子ではありませんでした。その前日まで部活動は10日間テスト休みで、倒れた日もテスト勉強のために深夜に寝て、早朝に起きたので、睡眠不足で疲れでも出たのかと思いました。娘は持病もなく、貧血で倒れた位の軽い気持ちでした。妻からの電話の後に教頭先生から「病院に運ばれた」と電話がありました。職場から病院に向かおうとすると教頭先生が少し緊迫した声で「姫路の病院に転送になる」と口調が早くなったので、調子が悪いのかと感じました。病院に着くまではそんなに大変なことだと思いませんでした。
小野田 お母さんは最初の病院で意識がない状態の梨沙さんの様子を見られて、お父さんは転送先の姫路の病院に行ったわけですね。恐らくその時は気が動転して、頭の中が混乱されておられたように思いますが。
 夕方は麻酔が効いているけど夜には元気に目を覚ますと思っていました。しかし、病院に着いた時にいた救急隊長が高校の野球部の先輩で、その人が私を見て「君の子やったか。残念やったけどな」と言いました。心肺停止していたので多分そういう風に言ったのでしょう。そんなことを言われても、残念なんて何のことだろう、その時は訳がわかりませんでした。

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