不登校

子どもが学校で死ぬ事実を教師はどう受けとめているのか?

神戸フリースクール 田辺 克之

自殺した子の父親が、記者会見で「息子がいじめを受けていたとは、ひとことも聞いていない。あの子が自殺するなんて想像もしなかった。」と。すなおな子どもは、「学校にはいくものだ」と刷り込まれているから、学校を休むという選択肢はない。どんな状況になっても行くしかない。死ぬまで行き続けるしかないのだ。うそのような子どもたちのこの現実をオトナたちは直視しようとしない。オトナの中には、子どもがしんどそうにしていても、口が裂けても「休め」とは言わない人がいる。子どももそれがわかるから、親に言ってどうなるものでもないとあきらめている。担任に相談してなにになる、むしろ状況が悪化するかもしれないと口を閉ざす。でも、心の奥でだれか助けてくれないのか、助けてほしいと願っている。最後は死ぬしかないだろうなという結論に近づいていく。「おじいちゃん、おばあちゃん、ごめんなさい。お父さん、お母さん、弱い息子でごめんなさい。いじめを自分で解決できませんでした。もう疲れました」と、死ぬ前になって、やっと本音をノートの切れ端に吐き出す。
どうすれば、子どもが学校で自殺しなくてすむのだろう。学校があるかぎり、自殺はなくならない。親が学校文化に染まっている限り、子どもの自殺がなくなることはない。「学校が変わらないと」と専門家はよく言うが、そう簡単には変わらないし、役人は変化を嫌い、現状維持を大事にする。
馳・新文科大臣は、多様な学びを提唱しながら、既成の組織を拡充することから始めるという。市区町村が運営する「適応指導教室」を増やせば、多様な学びにつながるというお粗末な発想では、なにも変わらないし、不登校は増え続けるだろう。校長や教頭の天下り先になる「適応指導教室」こそ廃止するか、公設民営化に移行すべきである。不登校に興味も関心もない、学校復帰を第一に唱える元校長たちにまかせてどうなるというのだ。不登校対策を教育委員会にまかせるのはやめよう。学校になじめず、登校を拒否している生徒をいまさら学校や教委が指導できるわけがない。首に縄をつけて学校に引きもどすしか能のない教育者たちに子どもたちのいのちが脅かされていることを、どうか新文部科学大臣は気づいてほしい。
多様な学びとは学校復帰ではない。学校外にこそ学校と一味ちがう多様な学びがあることに目を向けてほしい。既存の学校というシステムを変えるのは無理だろう。それにぶらさがるたくさんの役人がいるかぎり、その変革はいつまでたっても絵に描いた餅でしかない。みんなその絵をながめながら百年一日のごとく流されていく。だから新しい教育システムをつくりましょう。文科省だけに任せるのではなく、厚生省も少子化対策委員会も巻き込んで、一日でも早く「多様な学び法案」が実現するのを望んでいる。

Last Updated on 2020年9月26日 by manager

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