教育

本当の教育とは ー子供・親・教師ー

橋本 幸子

 私の教育暦は40年に余る。昨年3月末で短大の非常勤講師を辞退して、今は隠遁生活の身である。既に教師は卒業したつもりなのに「先生」と呼ばれるのは面はゆい。察するに教師像が染みついているのだろう。
 仕事から解放された私の日課は、2通りの新聞を丁寧に読むことである。教育に係わる記事のない日は無いので、読み捨てに出来ないのは教師の性であろうか?
 今年2月5日付新聞に「日本の家庭教育不十分さ突出」ー子どもの道徳心に疑問符ーと題し、文部省が米・欧(イギリス・ドイツ)韓と比較した調査結果を発表していた。
 内容を要約すると調査対象は小学5年生・中学2年生・日本では東京都区部の2,300人・諸外国は都市部の子供1,000人前後である。
 アンケート項目で ①「弱い者を虐めないようにーと全く言わない」父親76%・母親70% ②「友だちと仲良くしなさいと全く云わない」父親81%・母親70% ③友人関係の調査で いじめを注意したり、友達の喧嘩を止めさせたことがあるーは他の4カ国に比べると半分程度である。家事も余り手伝っていない。
 思うに文部省がこの期に家庭教育の実態を発表した意図は 続発する学校関連の残忍きわまる事件の背景に 家庭教育の空洞化があると云いたげである。
 確かに親の教育力は落ちた。頑固親父の影は薄い。しかし私は“躾”が不十分という前に 親が子供に深くかかわれなくなっているとみる。友達同士のような親子関係が広がっている。一見うまくいっているように見えるが表面的な関係である。
 子供が成長過程で求める親の映像は 優しさと同時に共生・共栄して生きるためのモラルに厳しい親の姿であり時には激しく、自信をもって子供を叱責出来る威厳のある親ではなかろうか。
 私の子供の頃を思い出してみると 父母の世代の子育ては 地域社会から疎外されないように心を砕いたように思う。
 私の世代は夫が早逝したこともあって 戦後高度経済成長期の成金ブームの埒外で唯々平穏無事に勤められたら良いとして、子供の自立自助を期待する姿勢で接した。片や子供の世代をみるに少子化が進み、子供の勉強に関わって干渉が私の世代よりも強い。
 親の子に対する教育の有様は 自分が最も苦労した生活経験を子供が繰り返さぬように意見する。それを“躾”と云うのであって“恥を知れ”とよく云われたし、礼儀作法に厳しかった。
 家庭内に施ける親の教育力が弱くなったのは事実である。然し2月7日付の新聞の「きょういく2000」の記事に2人の主婦の投書があった。1人の主婦は学校行事である卒業式に対する干渉で、四角四面の子供にとっては退屈な卒業式ではなくて 子供の歌いたい歌を歌わせたらどうか?というもの、 今1人の主婦は学校給食について、堺市のO157事件で衝撃を受けたはずの給食施設の衛生面の不備に対して物申す記事である。
 神戸市議団ニュースによれば 神戸市の学校給食が民間委託に切り替えられそうである。その理由はコスト削減だという。
 選択の余地なく強制される給食の共同調理場で汚染があればどうなるか、学校不信・行政不信の親が義務感での訴えである。
 以前のPTAは学校に遠慮なく文句の言える状況ではなかったことを思うと、親も変ると、頼もしく思った。この親の力が民主的な学校教育を目指す教師の激励とささえになることは間違いない。

Last Updated on 2020年8月27日 by manager

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