環境

山桜の実

 病を得て伊豆にやってきた。
 仮住いの庭に二株の大きな山桜が満開だった。妻と二人ぼくたちは花にむかえられて、ひっそりとこの地に住みついた。やがて花が散り結実して小さな実が熟れる頃、小鳥たちが大挙やってきた。ついばみそこねたサクランボがコンクリートの道に落ち、人に踏まれて赤い汁をセメントにしみこませていた。箒ではきよせようとして竹箒の重さが我が身の衰弱を自覚させて悲しかった。「ひろい集めよう」と決めた。踏まれて血を流すような風景が無残だった。
 市販のサクランボの三十分の一もない小さな頭に長い果柄がついていて精子のようだ。「そうだ、少年を創ろう」。ぼくは五六センチX八◯センチの手漉和紙に木工用ボンドを使ってひとつぶずつくっつけていった。まだ水気の残る一粒を強く紙に押しつけ過ぎた時、果皮が破れて赤い汁が滲み出し紙に染み込んだ。少年の胸に血がしたたっているとぼくにはわかった。少年は刃物で人を傷つけているけれど、少年自身傷つき血を流しているのだ。そういう作品にしよう。ひと月以上、山桜の実をぼくは紙の上にならべ続けた。やがて血を流しながら倒れる少年が和紙の上に現われた。その間も桜の実は散りつづけ、ぼくはひろいつづけた。ひからびた精子が集まって出来上った少年は、廃棄物処分場から流れ出たTBXP(プラスチック難燃剤)やダイオキシンなど内分泌撹乱物質(いわゆる環境ホルモン)によって精子を減らされ精神的にも不安定においこまれている、なんて考えて創ったわけではない。でも日の出の森(東京西多摩)で何本の山桜の古木が切り倒されたことか。そして今そこにダイオキシンを含んだ焼却灰が埋め立てられている。
 少年を形造る全ての粒は命であり、土に根づけば山桜なのだが、その命をいただいてぼくは作品を創った。小鳥たちに食べられた実は糞にまじって遠くで発芽するだろうが、この庭にはもう山桜の木が生える余裕はないのだから許してもらおう。
 少年が完成した頃、モクレンの実が駐車場のコンクリート上に落ちはじめた。ひろい集めて強い雄鳥を創ってみよう。

(たしま・せいぞう/画家)


この文章は、田島征三さんと藤原書店さんのお許しを得て月刊「機」より転載させて頂きました。

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