エッセイ

夫の急死

公庄 れい

認知症の夫は午後四時頃には夕ごはんを済ませて眠りに着く。八月の太陽は真昼のようだが分厚い遮光カーテンを引きクーラーを付けた部屋は季節にも時間にも左右されず、夫の感覚もまた常人の域を脱している。
どんなに止めても止めなかった車の運転は三月、交通事故を起こして止めざるを得なくなった。幸い相手方も当人も怪我らしい怪我も無く済んだので胸を撫で下ろした。事故現場に駆けつけた私は警官に免許証を取り上げて下さいと言ったが、本人が返上しない限りそれは出来ないと言われた。毎日車で食品を買いに出掛けるのを日課にしている夫は、まだ運転を続けると言い張ったが家族全員で説得して止めさせた。
それからは毎日バスでスーパーへ通うようになり、大きなリュックサックに一杯の食品を買って来た。夥しい食品で冷蔵庫も冷凍庫もぎゅうぎゅう詰め、それらの品をご近所に配るのが私の仕事になった。同じ物ばかり買ってくるので一軒や二軒の方にお願いする訳にはいかない。で、数軒の方に助けて戴いた事を今も有り難いと思っている。
夫は家計をすべて握っていたので私は正確な出費額を知らなかったが、一度だけ「食べ切れない物を買ってくるのは止めて」と言ったことがある。夫は黙っていたが後刻私の部屋に“バカにするな”と書いた紙をほうり込んでいた。この買い物癖は死の前日まで毎日続いた。認知症の相談に乗ってくれた医師も、夫の部屋を捜索した警官も、いつも物を貰って下さるお隣のご主人も「大丈夫ですか」と心配してくれる程の金額になっていた。
が、私は夫が可哀想だった。自分の認知能力がだんだん衰えて来ている事は自分でも判っており、これから自分はどうなっていくのか多分不安感にさいなまれる日々だったと思う。その中で、毎日自分の足で歩いてバス停へ向かい、自分で選んだ品を自分の金で買うことが出来る。まだ自分は大丈夫だという自信と安心感が夫を支えているのではないかと私には思えたのである。

八月二日午前五時ごろ目覚めた私は夫の部屋の前に揃えて置いているスリッパがそのままなのに気が付いた。いつも夜中に起き出して階下に行ったりするので朝はスリッパが乱れているのである。夫の部屋をのぞくとベッドの横にうつ伏せに倒れている。救急車を呼んだがもう息は無く、医師にかかってもいなかったので不審死ということなのか警察が来て夫の部屋を徹底的に調べた。そして「奥さんこんな物がありましたよ」と一枚の紙をもって来た。それは夫の書いたもので自分の死後の処置を指示したものであった。
葬式はするな 香典は貰うな 墓は造るな 戒名はつけるな 骨は太平洋に散骨しろ
すべて夫の指示通りにして全費用は葬儀と散骨で11万円、神戸市からの弔慰金が10万円出たので、実質1万円の出費だった。夫は葬式代を生前に使ったのである。後日解剖医から死因は心筋梗塞と知らされた。
散骨前に残した少しのお骨は今、生前に自らが彫った小さな仏頭三体に囲まれて自分の部屋でやすらいでいる。

Last Updated on 2020年9月25日 by manager

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