追悼集会

学校と闘うという事

森池 豊武

「学校事故」、「指導による生徒の自殺」、「教師による体罰」、「精神的虐待」、「教師や学校による殺人」、呼び方はさまざまであるが、日本の学校制度の中では、このような事態がいまだに根絶できないでいる。
ひとたび、事件が起これば、犠牲者はもちろんのこと、その家族、友人、同時代に生きる全ての人々への影響は計り知れなく、深く重い。校門圧死事件でも石田遼子さんが亡くなってから24年になるが、家族の方の絶望感、喪失感、言いようのない憤り等を多くの人々が共有している。
門前追悼の後の講演で、利発そうなお子さんの写真を前に、学校の指導の果てに愛する息子さんを亡くされた出来事を語るお母さんの思いを考えた時、発言する気力も筋道を立てて、思考する気力もありませんでした。結局一言も発言せず、涙を流していただけです。
事件を起こした学校は、反省をするのではなく、組織を守るために、犠牲者や残された家族をさらに傷つけ、時間の経過とともにその出来事そのものを抹殺しようとします。
このような学校という狂気じみた組織を相手にするためには、人々が勇気を持たなければなりません。先生や、学校に逆らえば、さまざまな不利益を被るかも知れません。しかし、その不利益は、かけがえのない子供たちの命に比べれば、取るに足らない値打ちしかないものです。
学校ができることは、長い間家庭で行われてきた教育を特化して、制度化し、カリキュラムに従って、若干の専門知識を持った教師集団が、一定の知識や思考方法等を教えるだけです。それ以上でもそれ以下でもありません。家庭に関わることに学校が口出しをする事は本来的にできませんし、いかなる権限もありません。学校での些細な出来事を根拠に、子供が、楽しみにしていたスキー旅行に行ってはいけない等という事をいう権利は学校や教師には一切ありません。係る越権行為を許すべきではありません。そのために、大切な命が奪われたのであれば、その責任を追及し続けなければなりません。
すでに多くの命が、学校によって奪われてきたのならば、これからそのような事が二度と起きないように、学校の暴力や理不尽な振る舞いに対して、専門家(例えば弁護士や、カウンセラー等)と家庭が連携し、事件が起きる事前に学校という組織と戦うための全国組織を立ち上げる必要があると痛感しました。

Last Updated on 2020年10月8日 by manager

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