追悼集会

石田僚子さん追悼第8回集会

 石田僚子さん追悼の第8回の集会が98年7月5日、六甲の学生青年センターで行われた。一参加者として感想をといわれこれを記します。雑ぱくの憾みはお許しいただいて、もしも詳細を知りたい方は編集の所さんなり曽我さんに聞いていただければ当方気が楽です。
 最初はのむらあきさんとおおまきちまきさんの歌、のむらさんのマンドセロとちまきさんの声は違う国の人のこころも打つだろうと思った。
 今回はわかものたちからのめっせーじ(風の子事件を考える姫路市民の会)の中島敏子さんを囲んでということでしたが一緒に参加を予定していた風の子事件で亡くなった西川辰彦君の友人たちは残念ながら都合がつかず参加出来ませんでした。彼、彼女たちはもう22歳、(わかものたちとこう呼ぶ主催者は私たちがお年寄りの集まりだと自認しているからで、彼らと会うのは後日姫路の方にこちらから行くという予定だそうです。)
 それで急遽してもらったこの会のわかものの曽我冬さんと曽我弾さんからの話。のむらあきさんの即興演奏とその合間合間の話。淡々とした山田さんの司会。曽我さんの話、その他の人たちの話。それから中島さんの話、中島さんの話で印象に残ったことは、風の子学園事件で、このことを考えいろいろかかわっていくなかで、殺された西川君の友人たちとの出会いがあって、彼らはツッパリだったけれどそんなことぜんぜん関係なくて、自分も彼らもいろいろ話し合ったり悩んだりしてきて今があること。彼らとの関係のなかで友達とかいろいろ大切なものを互いに学んだしこれからもそれを守りたい。そして小佐木島のコンテナに一緒にお参りした時の西川君を思う彼らのやさしさなどを話してくれた。また西川君が学園からお母さんに宛てた手紙の中で、罰として何度かコンテナへ監禁された時、後で一緒に殺されたNさんが、西川君が監禁されているコンテナに心配して様子を見に来てくれて、それは規則違反なんだけれど、こういうことが本当の友達っていうんだよねというような手紙の内容だったと中島さんは手紙の文章を空で話してくれた。
 集会に参加しながら思うこと。高塚高校の事件から8年、その後も学校をめぐる悲しい事件は後を絶たない。私たちとて何かわかったとか良くなったということもないけれど。
 僕などはただこの8年間弁護士さんの法廷での闘いのその尻馬にも乗れなかったけれど高塚のことが起こった時、殺された少女に自分を重ね、ときにまた殺した教諭に重ね、ともかくも自分のこととして考えようとしたけれど、何かしているという意識は勿論ないしまた出来るわけでもなかった。ただ問い続けていこうと思っていたしこれからもそうするだろう。加担している自分というものを自覚し自分がどう変われるか。建前でものを考えたくないし、心にもないことを言ったり、人と合わせたりはしたくない。本当にやりたいことをしていけたらいいけど勉強もしないととは思う。とにかく楽しいことはみんなでしよう。本当はもっと建設的になれればいいんだけれど、この集会も集まる数も少なく、ということでマンネリズムと言われながらもまあそれなりに有意義な集まりになったのではないかと僕は思いました。
 それから学校というのは権威主義的でおまけに自由でないので昔から嫌いなのですが、それでももう少し血が通っているなら救われると思うのだけど、高塚高校の事件でも、他の件でもそう何か根本のところで腐っている気がする。まず学校の中ではじめに子供たちの自主性、主体性が奪われていること。次に子供たちと教師との信頼がないこと。内的な動機や必要性の説明も醸成もないままバラバラな知識の詰め込みがおこなわれ評価が下される。子供たちの阻喪や怠業や反抗や反乱の意味が正当に評価され理解されないし、管理の中での個別の逸脱として落ちこぼれ扱いをされたり、教師からの制裁を一方的に受けたりしている。これではそれでメシを喰っている大人の都合で子供をくいものにしているのではないのかと思ってしまう。最後に硬直した学校の状態は、「遅刻したんだから落ち度はある」とか「茶髪だから仕方ない」などと言い出す子供たちや親の出現でもって最終的に学校ファシズム的状況が完成する。
 一生懸命俺はまじめにやってきた。学校につくしてきた。なんでよりによってこんなことが、と一番驚き打ちのめされたのは当の教師だったと思う。しかし教師からは生身の声が聞こえない。そして体制としての学校や教育委員会は問題の本質を省みることをせずにうやむやにしようとする。教師も生徒仲間も親たちも右なれいしていく。この腐敗は更にひどい。異議をとなえたり、真相究明をしようとすれば被害者の親だろうが何であろうがひどい時には職場や地域からも排除されかねない。内海さんの件も石坂早佑理さんの件でもそれが教師の体罰や叱責によるものか、あるいはいじめによる自殺であろうと何故か同じ軌跡を描く。これらのことに何かの欠如を感じる。それがなんなのか。おそらく人間的な罪の感情とか道義性の欠如ではないか。
 その昔といってもついこの間、日本は、いやわれわれは(正確にいえば上の世代の人たちだが、われわれに違いはない!)空虚な皇宮と「無能」な大本営のもとでナチスの犯した何倍もの殺戮をアジアで行いいまだそのことの対象化すらしていない。また謝罪も補償もしていない。それから解放された在日朝鮮人たちが行っていた自分たちによる自分たちの子供たちに対する民族教育を、われわれはアメリカ軍と一緒になって徹底的に弾圧した。それが戦後の教育の出発点だった。先生たちは二度と教え子を戦場に送るなということでずっとがんばってきたんだろうけどだんだん風化してしまったのだろうか。とまれ道義性のない風土、その上に建つどんな建物もまともではないだろうと考えるのは黒雲の出現で雨を予想するより造作ない気がする。心は知らず、人がよれば白は白でなく時として黒に、黒もまたしばしば白になる。これは怖いことだ。現代社会の消費文明や物質主義の洪水の中で子供たちはなにを拠り所として自分を確立していくのだろう。大人たちが溺れているのは勝手だが泳ぎの知らない子供たちはどうなるのだろう。
    先生たちは僕を 不安にするけど
    それほど大切な言葉はなかった
    誰の事も恨んじゃいないよ ただ大人たちにほめられるような

◯◯ ◯◯

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