中村羅針さん
中村羅針さんのご紹介
中村羅針さんは、石田僚子さん追悼のために作詞作曲した歌を路上で歌い、募ったカンパで毎年カーネーションを事件現場に捧げておられます。
羅針さんから捧げられたカーネーションは、事件から15年後には2万本を超えました。

事件が起きた翌年には30万円のカンパで1,500本のカーネーションが石田僚子さんに捧げられました。
このトタン板の裏側には事件現場の門扉があります。
この門扉は事件から3年後に耐用年数を22年間も残して「教育的配慮」により撤去、溶解されました。
こちらのサイトでも、ご紹介させていただく予定でおります。
羅針さんが石田僚子さんを追悼するためにカーネーションを捧げておられる理由
事件が起きてからしばらくの間、供えられた花束を置く台が事件現場にありました。
事件現場に手を合わせることもなくその台の横を通り過ぎていく女子生徒に対して、羅針さんは「同じ学校の生徒がここで亡くなっているのにどうして手を合わせずに通り過ぎていくのですか」と尋ねました。その女子生徒は「私の友達ではないから」と答えました。「それでは、自分が花を捧げます」と羅針さんが言いますと、生徒たちは「勝手にすれば」と冷たく言い放ちました。その時、羅針さんは、石田僚子さんのために作詞作曲した歌を路上で歌って、募ったカンパで事件が起きた日に石田僚子さんのために事件現場に花を捧げることを決めました。
石田僚子さんに捧げる花の種類について、初めはバラにしようと思っておられたそうですが、花屋さんに棘のある花はお供えの花には使わないということをお聞きしてカーネーションにされたそうです。