校門改修公金支出賠償請求訴訟

第一次、高裁判決(96.9.26)へのコメント

※ 高等裁判所判決(1996年9月26日)に対するコメント

  • 地方自治法242条に認められている住民の権利を出来るだけ狭く限定する判決であり、到底認めることは出来ない。
    予算令達(予算を実際に使用する部課に配当することを知らせる行為)は行政内部の事務処理に過ぎず、住民訴訟の対象である財務会計上の行為ではないとする解釈は、「お金の使い道を決めなければ、お金は使えない」という当たり前の道理を無視し、お金の使い道を決める行為とお金を使う行為はなんら関係ないという詭弁であり、予算令達が財務会計上の行為であることは明白である。
    用途廃止は教育財産の管理行為であり、財務会計上の行為ではないとする解釈も、用途廃止→校門の取り壊し決定→取り壊し→財産の減少と一連の行為であり、取り壊し決定と一体不可分の財務会計上の行為であることも明らかである。
  • 教育財産の取得にあたっては、教育委員会の申し出をまって行われるという法律の趣旨からすれば、申し出る者とその申し出をまって財産取得を決定する者とは当然別の人間である。そうすることによって、教育財産の取得に対するチェックが可能になる。しかし、判決に言うように、高塚高校校長は教育委員会から申し出の権限を委任され、知事から財産取得の権限を委任されているので、同一人が自己に申し出を行い、その申し出を受け、自分で財産取得を決定することは適法であるとすれば、全くの一人芝居であり、何のチェックも出来ないことになる、それは、法の目的に反する行為である。
  • 校門改修は教育についての専門家である高塚高校の校長の合理的な裁量判断に委ねられており、その判断や手続きに何人の目から見ても明らかな過誤や不合理があると認められない限り、その判断が法的に違法であるとされることなないと言う原審の判決を鵜呑みにした解釈は、
    ▷校長は教育の専門家であり、間違いがない。
    ▷校長の判断は合理的であり、どのように判断するかは校長が自由に決められる。
    ▷校長の判断の誤りは100人中100人が認めない限り覆されない。という言わば、校長にオールマイティーの権限を与えることになり、到底認めがたい。
  • 全て公務員は、法律と規則に則って日々の業務を遂行しているのであるが、法律や規則に反して、必要な手続きや文書の作成を怠っても、何ら問題ないとすれば、全ての行政システムは崩壊する。この判決では、高塚高校校長が、作成しなければならない文書を作成していなくても、校長が内心で実質的な取り壊し、廃棄の決定をしているから、違法であっても決定の効力そのものに影響はないとしている
    このことは、裁判所による違法の進めであり、違法行為を働いた公務員をなりふり構わず弁護する裁判所の姿勢を表している。
  • 校門改修の決定は、父母・教職員・生徒の意向や理解と全く無関係になされ、教育的配慮とも無縁に詐欺的手法で強行されたにも係わらず、判決は校長の言い分を全て鵜呑みにし、「おおかたの賛意を得た」と認定しているのは、明らかに行政の言い分にひたすら追従し、住民の見解を完全に抹殺する不当判決である。
  • 教育的配慮の認定に対する著しい誤り。
    学校の言う教育的配慮論は、事件を風化させようとする皮相なものであったと認定する証拠はなく、教育的配慮により校門改修したことは裁量権の範囲内であるとする判決は、私たちが繰り返し述べてきた、このような事件を二度と起こさせないために管理主義的な教育体制を改め、生徒との信頼関係を打ち立てて行くことこそが真の教育的配慮であると言う主張と対極にある認めがたい判決である。

◎ 従って、このような無内容で、行政の違法を追認する判決を確定させる訳には行かないので、上告は必至であると考えられる。

森池 豊武

Last Updated on 2020年8月25日 by manager

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