校門改修公金支出賠償請求訴訟
1990年7月⇨1997年7月
仕事場の外の「流し」のかたわらの、物干し台の柱に、足の小指ほどの小さなカエルがひっついている。
朝からずっと、同じ姿勢のまま。
朝、僕がロクロ用の水を入れるときに見た格好のまま身をへばたくして、そこにいる。
「どうしたん、ずっと、そんなとこで」
思わず僕は声をかけた。
カエルはピクリともしない、で、
一瞬(死んでる? まさか)
桶に水を溜めるあいだ、僕は、そのカエルに身をにじりよせて、もう一度
「ねぇ、なんで、動かないんだ」
と、声をかけ、人差指でそぉっとその背をなぜた。
すると、カエルは一呼吸置いてからピューンと大きく流し場の反対側まで跳んで、草むらに着地した。
何でもない面をしてやがる。
フフッとおかしくちょっぴりホッとする。
桶に水が充ちた。
よっこらしょっと、僕は仕事場に引き返す。
7年目の7月6日がもうすぐ来る。
この通信も前の号からずいぶんと間が空いて、通算の号数も、実はよく分からない。
事務局長の森池さんから送られてきた会員名簿の中に、『死亡』と赤字で記された欄があってハッとする。
住所は西宮、の高橋治子さんだ。
この方からは一度、切手と励ましの手紙をいただき、手紙の末尾に「入院している」とも書かれていたので、「お大事に」と礼状を書かせてもらったのを思い出す。
まだ今は聞こえてこないが、7年目の7月6日の高塚高校前の並木ではおそらくセミがなくことだろう。
曽我 陋