校門改修公金支出賠償請求訴訟

神戸高塚高校校門改修公金支出賠償請求訴訟(門扉訴訟)の7年を振り返って

 1990年7月6日の「校門圧死(圧殺)事件」から1997年5月24日の須磨区の小学生殺傷事件まで7年、兵庫の教育は全国に衝撃を与え続けている。校門圧死事件を生み出した教育の惨状に、県民有志が声を上げ、「管理主義教育」の現状を改めることを求めたが、高塚高校と教育委員会の選択した道は、自らの反省、事件の根本原因の究明を全て放棄し、教育的配慮に基づき「校門を改修し、教育環境を整備する」ことであった。
 まだ新しい校門を3000万円もの県費を浪費し、改修することは、①崩壊した教育の現状を象徴する証拠品を抹殺し、②自らへの責任追及を逃れ、③事件の一刻も早い風化を目指し、④在校生への教育的配慮という美辞麗句で事件の本質を隠蔽するものであり、⑤教育の無責任さ、無反省さを示すだけでなく、⑥事件を思い出させる校門を完全に撤去するという思考様式からは、何も生まれてこないが故に、私たちは、住民監査請求を行い、住民訴訟を提起し、「校門圧死」事件を共に考える集会・門前追悼を7年間繰り返し行って来た。
 3度にわたる意見陳述や「教育的配慮に関するアンケート」、多くの証人への尋問を通して、弁護団による膨大な準備書面によって、兵庫の教育の在り方を問い、校門圧死事件を生み出す「管理主義教育」こそが裁かれなければならないと主張し続けて来た。
 しかし、神戸地裁での第一次訴訟・第二次訴訟判決を通じて、校門改修に公金を支出したことの違法性の有無という限定された争点審議において、裁判所側の異常なまでの行政擁護・行政追従の姿勢は、事実認定における行政優位、専門家たる校長の裁量権への過度の信頼、明白な手続き的違法に対する寛容さ等、終始一貫しており、行政訴訟における行政サイドの勝訴率99%というデータを裏打ちするに十分な、無内容な敗訴判決が出され、熱心に傍聴に駆けつけた多くの人々に大きな失望を与えた。
 第一審の余りのひどさに、直ちに控訴し、誤った法律解釈に対する学術的鑑定意見を提出し、多くの問題点を指摘し、被控訴人を論破しているにも係わらず、大阪高等裁判所は校門圧死事件が突きつける問題や教育委員会・高塚高校の意図や事件の背景には一切触れず、ひたすら第一審判決と行政を擁護する判決を2度にわたり言い渡した。この間、審議らしい審議は殆ど行われず、2~3分か長くて5分で終わる裁判を傍聴し続けてくださった皆さんの粘り強い努力に感謝するところ大です。
 現在、第一次訴訟・第二次訴訟を併合して最高裁判所に上告し、最終的な判断を仰いでいるが、度重なる敗訴という事実は、公正・中立であり、正義を実現する使命を放棄した裁判所の惨状を示している。行政の主張を鵜呑みにし、それに寄り掛かる裁判所、裁判所の根拠なき判決に支えられている行政権力という二重の脆弱性を露呈していると言える。
 いじめ・不登校・校内暴力の増加、「管理主義教育の破綻」という日本の教育の限界状況は、例えば裁判を舞台にした闘いとそれを支える運動の継続に代表される営み、幾多の教育問題を解決しようとする人々の粘り強く、弛みのない営みによってこそ乗り越えていけるとの思いを強くした7年間であった。マクロな支配権力対抵抗運動という構図ではなく、「遍在する権力に対する遍在する抵抗」こそが歴史を作り上げている。

ぐるーぷ「生命の管理はもう止めて!」
事務局長 森池 豊武

Last Updated on 2020年8月25日 by manager

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