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兵庫県立龍野高校テニス部 熱中症事故

兵庫県立龍野高校テニス部熱中症事故について

熱中症事故でわが子の未来が奪われて

聞き手 小野田 正利(大阪大学大学院教授)
『季刊 教育法 187号』インタビュー記事より

熱中症事故の被害者・梨沙さんのご両親 

梨沙さんのご両親*私と梨沙さんのご両親との出会いは、6年前に私の講演会場設営で、お父さまが準備されていたことから始まります。その際に、梨沙さんのことをお聞きしたのですが、直接に病院とご自宅を訪問させていただいたのは、神戸地裁への提訴(2010年4月)から半年後でした。学校側だけではなく、事故被害者の家族の視点からも考察する必要があると思い、10年12月4日には、私が主宰している科学研究費による研究会(学校保護者関係研究会)にお父様をゲストスピーカーとしてお招きし、「学校事故被害者の家族の立場から見た学校側の行為や行動の問題点」について理解を深めていきました。その後に私は、連載をしている『内外教育』誌(時事通信社発行)に「事故の被害者に映る『学校』」(11年6月17日号)、および『月刊高校教育』誌(学事出版)に「事故被害者とのミゾはどこから生まれるのか」(11年11月号)を書いたという経緯もあります。
 今回、5年ぶりに梨沙さんのご両親に連絡をとり、再びご自宅を訪問させていただきインタビューとなりました。前回と大きく違ったのは、当事者の梨沙さんも身体を固定する大きな椅子に座り、私たちの話し合いの様子を眺めていたことでした。目は見えませんが耳は聞こえるそうです。別室のベッドの中ではなく「当事者の梨沙さんも一緒に話に加わっているんだよ」というご両親の配慮の温かさを感じた時間でした。

倒れた娘と対面するまで

小野田 07年5月24日に当時・高校2年生の娘の梨沙さんがテニス部の練習中に熱中症を発症して重度の後遺症が残り、ご家族の献身的な介護の下で、いまなお懸命に生きておられます。そして梨沙さんとご両親はこの事故を巡って事故原因の究明と学校の責任を問う裁判をたたかっておられます。一審判決は敗訴でしたが、今年(15年)になっての高裁では逆転勝訴。しかし、兵庫県側が上告したために裁判が続いている状態です。
 今回のインタビューでは、特に事故から今日までの8年半という長い年月の中で、当時者としての思いや怒り、そして不安、裁判の経過などを伺いたいと思っております。まずは5月24日当時の様子をお話しいただけますか。
 まず、学校ではなく同級生から娘がテニスコートで倒れたと電話がかかってきました。朝は元気に家を出たので特に慌てることなく、貧血でも起こしたのかなと。そのときは、地元の病院(栗原病院)の整形外科に搬送されると言われました。でも病院に着いたら物凄く緊迫した状態で他の病院(兵庫県立姫路循環器病センター)に転送すると言われるし、まさか命に関わることが部活動で起こるとは思いもしませんでした。
 妻からの電話では「娘が倒れて病院に運ばれたから行くわね」と深刻な様子ではありませんでした。その前日まで部活動は10日間テスト休みで、倒れた日もテスト勉強のために深夜に寝て、早朝に起きたので、睡眠不足で疲れでも出たのかと思いました。娘は持病もなく、貧血で倒れた位の軽い気持ちでした。妻からの電話の後に教頭先生から「病院に運ばれた」と電話がありました。職場から病院に向かおうとすると教頭先生が少し緊迫した声で「姫路の病院に転送になる」と口調が早くなったので、調子が悪いのかと感じました。病院に着くまではそんなに大変なことだと思いませんでした。
小野田 お母さんは最初の病院で意識がない状態の梨沙さんの様子を見られて、お父さんは転送先の姫路の病院に行ったわけですね。恐らくその時は気が動転して、頭の中が混乱されておられたように思いますが。
 夕方は麻酔が効いているけど夜には元気に目を覚ますと思っていました。しかし、病院に着いた時にいた救急隊長が高校の野球部の先輩で、その人が私を見て「君の子やったか。残念やったけどな」と言いました。心肺停止していたので多分そういう風に言ったのでしょう。そんなことを言われても、残念なんて何のことだろう、その時は訳がわかりませんでした。

無我夢中の介護

小野田 その後、奇跡的に一命を取り留められることになったわけですね。その先の不安とか、あるいは次は何をしたら良いのだろうとか、これからの事を考えることができるようになったのはいつ頃ですか。
 集中治療室から一般病棟に移って、1,2カ月してからですね。
 集中治療室には4カ月間もいました。普通はそれ程長い期間、集中治療室にいることはないと思います。
小野田 秋に入って、これからどうなるのか、いろんな不安が当然出てくることになるように思いますが。
 当時はまだ将来に対する不安というものはありませんでした。毎日、40度近い高熱が出る、下痢をする、嘔吐を繰り返す……正直、先のことを考える余裕はありませんでした。
小野田 事故後の最初の4カ月間というのは、学校に対して何があったのかという事実究明よりも、わが子の命ですよね。
 とにかくせめて命だけは助かってもらいたい、最初はその気持ちだけでした。多分亡くなった場合は、お葬式からしばらくして「学校で何があったか、責任はどうなっているのか」など、やり取りをしますよね。私の中では、入院後2カ月くらいした時に一度、校長先生とゆっくり話したいと思っていました。校長先生は病院に来られない。来られる顧問教諭や教頭先生に、学校で何があったか、どうすれば事故は防げたか、をお尋ねしても、「校長でないと責任あるお答えはできない」と言われる。我々が学校で何が起きたのかを知ることは容易ではないのです。そして、我々が知らないうちにいろんなところに、「学校の対応に問題は無い」と、一方的な情報を流されていたのです。
小野田 被害者・当事者の状況を何も聞かずに、学校にとって都合のいい情報ばかりが流布されていたという形ですね。
 病院は熱中症の可能性、心筋炎の可能性という事だったので、確定診断は最初出ていませんでした。しかし学校は、娘が「病気で倒れた」と早々に周りに勢いよく流布されました。病気の場合は学校に責任がないので。
小野田 事実経過の報告すらない中で、ご両親の求めに応じて、ようやく学校側は報告文書を出された。
 重大な事故が起きた場合、「兵庫県立高等学校の管理運営に関する規則」第17条により学校は県教委に1週間以内に報告しないといけません。それには生徒の氏名や住所、倒れた場所など客観的な事実が書いてあるだけです。それは我々にとっては何の意味もありません。「テスト休み明けにクラブ中倒れて入院中」とだけ書いてあるような、非常に簡易な文章なので、どんな事故が起きたのか、何が原因だったのか、どうしたらこの事故を防げたのかわかりません。だけど学校は「その文書を出したことで保護者に対して十分な説明をした」と言いました。
小野田 その後、いくつか病院を変わられますよね。病院などの情報はインターネットで調べたのですか。あるいは医療ケアマネージャーみたいな人に相談されたとか。
 我々が住む場所は、社会インフラが整っておらず、医療ケアも非常に薄い地域で情報がありませんでした。最初は先進的なリハビリを行っている西宮の大きな病院に行きました。以前、列車事故で何カ月も意識不明だった方がリハビリとケアによって奇跡的に意識を戻したという事を知りました。それが西宮の病院でした。
 事故から約半年後、私と妻で、娘の映像と診療記録を持ってそこへ行きました。しかし、娘は意識不明で、当時気管を切開していましたので、「残念ながら施しようがない」と言われました。私たちは「娘のためなら、借金をしてでも財産を全部投げ打ってでもお金はいくらでも用意します」と言いました。当時、プロ野球・元巨人軍の長嶋監督やサッカー日本代表監督だったオシム監督が、脳梗塞で倒れて劇的な快復をしましたよね、私たちはそれを願っていました。しかし、「あの方々は社会的影響力の大きい人なので、基準度外視のケアをしなければいけなかった。それは列車事故の被害者の方も同じです」と。「一般の人がお金を出せば診てあげる、お金の無い人は診ない、これは社会的バランスが非常に悪いので、お金をいくら積まれても診ることはできない」と言われました。それが今の医療制度なのかという思いはしましたね。
小野田 最大限の手を尽くそうと必死になられたんですね……。自宅に梨沙さんが帰られたのは事故から2年後ですか。
 はい。09年の5月で、丸2年間で4つの病院に入院しました。

不誠実な校長の対応

小野田 学校側のあまりにも不誠実な対応━━これを裁判で訴えておられますね。それから、当然、事故の原因究明、事実関係の詳細な調査、再発防止を望んでいたわけですよね。学校は何をやって、どうなっているのか、それが裁判を起こすきっかけになったのだと思います。その気持ちが強くなったのはいつ頃でしょうか。
 顧問の先生は度々見舞いには来てくれましたし、教頭先生も週に一度ぐらいは来てくれていました。どんな事故だったのか、どうしたら防げるのか、事故の責任どこにあるのかいつも教頭先生には訊いていましたが、「それは校長でないと答えられない」と言われました。校長先生は事故直後は1,2回来ましたが、その後の2カ月間は全く来なかったので、私は「校長先生に会いたい」と教頭に何度も伝えました。2カ月後にようやく校長先生から電話が来て、他人事のように「私が行かなくてはいけない問題ですか」と言われました。2カ月ぶりでしたので、「いやお父さんすいません。忙しくてなかなか行けずに」とか、「娘さんは、どうですか?」という言葉を言われると思っていたので、大変驚き、「すみませんがメモを取らせてください」と伝えました。
小野田 そうしたら校長に「お父さん、おかしいよ」と怒鳴られて。
 何故怒られるかわからないので慌てて学校に行きました。実は、娘が倒れる前にも1人、同じ高校で体育の授業中に亡くなっています。以前、教頭先生にその親御さんの連絡先も聞いたことがありました。同じような学校事故被害者でしかわかりあえないようなことを話したかったのです。しかし、校長は事故の責任や以前に亡くなった生徒のことを聞くということは、裁判を起こす気だから言質を取られたらいけないと思ったようです。
小野田 向こうだけが一方的に戦闘モード突入ですね。このボタンの大きなかけ違いが関係者を逆なでする一つのポイントになりますよね。
 現在の校長先生と教頭先生は本当に良い先生ですが、当時の校長はそういう高圧的な人だったので我々は閉口しました。「学校には落ち度がないのにどうしろと言うのか」と。そのような校長の態度だったからこそ、裁判を起こさざるを得ませんでした。これが「娘さんがこういうことになったことについて、学校としてもできることをさせてもらいます」と誠実な対応をしてくれていたら裁判は起こさなかったと思います。私たちは、ただ介護に専念したかった……。だけど本当に学校に落ち度はなかったのか、問題があったのは家なのか明らかにするために裁判という方法を取りました。

モンスター・ペアレンツ扱いされて

小野田 当り前のお尋ねをしただけなのに、モンスター・ペアレンツ扱いを受けた。それでお金が目当てだろうと、校長が他の保護者に向けて言ってしまった。完全に曲解した上で、流布を繰り返されたわけですよね。その中で最も辛かったのは何ですか。
 職場の同僚に娘と同級生の親御さんがいます。その人から私たちが「学校から金を取ろうとしているのか」と言われました。それはどういう事だと聞いたら「高校のPTAの役員の前で校長先生が梨沙さんは病気で倒れた。しかし親は非常に難しい人で学校に現金を要求したりして、学校を困らせている」と伝わっていたのです。そんな事実はありません。そもそも娘が意識不明で死ぬか生きるかという時に、学校にお金を要求して何の意味があるのかと思いました。
小野田 梨沙さんのご両親が学校を責めてくるのではないか、そういう準備をし始めたと校長らは思い込んだのですね。
 私が電話で校長先生に「おかしいよ」と言われてすぐ学校へ行った時に、学校が調査や検証を一切行っていないことが明らかになりましたので、県教委の方に調査をお願いしたい旨をお話ししました。すると校長が「私は長い間県教委にいた。今の県教委にいるのは私の当時の部下ばっかり、私のためなら部下は何でもやりますわ。お父さんのいうことを聞く者はおりませんよ」と、言われました。本当に残念でしたね。
 私は倒れた時の状況をきちんと説明して欲しかった。そうすれば私たちは事実を受け止めて介護に専念して、何とか娘に寄り添ってがんばっていけました。でも何一つ私たちの思いは学校に届かなくて、違うことばっかりがどんどん大きくなってしまって。

衝撃の卒業式

小野田 ご両親は介護で一生懸命ですから、もちろん外の世界は見えづらくなる。そうなると自分たちの周りで、勝手に何が起きているのだろうか、という気持ちになりますよね。いろいろなところで学校はとことんガードを張りまくって、いろいろな形で話を流布して、梨沙さんたちを逆に追い詰めていくという構造がわかります。以前お話をうかがった際に、とてもショックを受けた卒業式の話をもう一度お聞かせください。
 09年2月は本来なら娘も卒業式でした。娘はほぼ退院できるような状況で週末は自宅で療養をしていました。卒業式も行けるような体調には戻っていました。意識はないですが、卒業式には呼んでもらえると思っていました。
小野田 当然、学籍はまだあったわけですよね。
 実は今もあります。今も休学中です。
小野田 おぉ、それは驚きました。
 休学中ではありますが、サプライズをしてもらえると思ってワクワクしていました。2週間前になっても10日前になっても何の連絡もなく、痺れを切らして教頭先生に電話をしました。卒業式には参加して良いのかと聞いたら、「休学中は学校の敷地内に一歩たりとも入ってもらっては困る」と言われました。これには驚愕しました。娘は卒業できないですが、せめて同級生と最後のお別れをさせてあげたかったのです。しかし、学校(教頭先生)は、「どうしても来たいなら病院に行って、意識が戻って元気になったという証明書を貰ってください」と。意識不明の子どもに意識が戻ったなんていう証明書をくれるわけがないでしょう。そうしたら教頭先生が「ダメだ」と言いました。私が教頭に「その法的根拠を教えて欲しい」と言ったら、「調べて明日電話する」と言われました。
 翌日になって教頭から「卒業式にぜひ参加してください」と言われました。それをあとで県教委に伝えたら、倒れた時に保護者に対して学校が説明会も何も開いていないことを知りました。当時は全然マスコミにも知られていませんでした。意識がすぐ戻って、2,3カ月で学校に戻れると思っていましたので、私たちも最初はそれで良かった。今考えると、それは学校にとっても都合が良かったんです。事実を誰も知らないので、突然、卒業式で車椅子の意識不明の子が出てきたら、あの子は一体誰となってしまうわけですから。

学校を相手取り裁判へ、その苦しみ

小野田 私の知り合いの高校の校長が在職中に、部活動移動中に熱中症に倒れて亡くなった生徒がいました。それを聞いていくつかのアドバイスをしたことがあります。丁寧な遺族対応を繰り返したことで収束していったと聞いています。やはりその時の教職員の対応と、どう遺族や関係者と向き合ったかが決定的に違うところですね。
 事故から1年ぐらいしたころは校長に対して非常に不信感を持っていたので、教職員の復命書を兵庫県に開示請求しました。そうしたら事故の2日目、07年5月26日、確かに校長先生は病院に来ていました。朝9時頃に来て、黙っていました。その後、校長先生は30分ほどで「所用がありますので帰ります」と言われて帰られました。
小野田 2日目って、それ見舞いですよね。普通ならば看病されているご苦労をねぎらい、快復を願う親御さんに対して掛ける言葉がありますよね。それが全くないのが不思議です。
 しかし、復命書には8時半から5時まで病院でご家族を励まし続けたと書いてありました。
小野田 ちょっと待ってください。9時に来て9時半には帰りましたよね。
 復命書があるということは出張旅費も請求しています。だから驚きましたね。8時半から5時まで家族の傍に寄り添って家族を励まし続けた、よくそんなことを書けるな、と思いました。
小野田 自分のことしか考えてないじゃないかという話になりますよね。
 校長先生は事故があった日開口一番「びっくりした」と言うばかり。だから私たちが迷惑をかけたようなことになったので謝りました。だから結果的に学校側からの謝罪は一切ないのです。未だにない。一度もないです。
小野田 梨沙さんが倒れた日、病院で初めてお会いした校長先生がびっくりしたと言い、逆にお父さんお母さんが謝るというのは変ですよね。
 最初から向こうの方が優位でこちらは劣位、それが逆転することはありませんでした。
小野田 終始一貫して立場が変わりませんよね。
 裁判で校長が、「道義的責任で謝罪しても、それが法的責任にすり替えられる。法的責任を認めたならば金銭の要求につながると思った。だから私は一切謝罪しなかった」と言いました。「事故調査はしていない。原因究明が再発防止になるとは思わない」ともはっきり言いましたね。顧問の先生も当然被告側証人として呼ばれます。うちの弁護士が顧問の先生に校長先生の対応をどう思ったか問うたら、「私は冷たいと思いました」と。被告側も校長先生の態度は冷たいと思っていました。
小野田 提訴するに当たって、当時の校長先生を許せないというのが一番大きなエネルギーですよね。ただ裁判はいったい何年かかるかわからない、それから金銭面の問題や自分のメンタル面の維持もありますよね。この提訴をせざるを得ないと思われたのはどの時点ですか。
 学校は、事故が無かったことにする、学校とは関係が無かったとし、事故の調査も改善もしません。事故の風化を待っているんですよね。これでは事故は無くならない。同じような事故が何度も繰り返されると思い提訴を決意しました。
 最初に学校から聞いたのは、「娘が自ら部活動に参加して倒れたので学校に一切落ち度がない、自業自得です」と。学校から指示された場所で言われた通りの内容を忠実に真面目にこなしただけなのに。
 私たちは最初、練習メニューは娘が考えていたと学校から聞いていました。事故から4カ月して集中治療室から一般病棟に移り、その頃からようやく同級生の人達が見舞ってくれるようになりました。その同級生に聞いてみると「違う、キャプテン(梨沙さん)は毎日職員室に呼ばれて、顧問の先生に厳しく指導されて、詳細に記入された練習メニューを渡されて、逆らうことなんてできなかった」と教えてくれました。

訴訟の準備と維持、その苦労

小野田 神戸地裁および大阪高裁の判決を読ませていただいて、弁護士さんも相当苦労されていますよね。つまり医学知識を持っている、あるいは弁護士さん自身が持ってなくても、多少扱ったことのある方でないとなかなか訴訟の続行は難しいと思います。訴訟の準備はどういう形でされましたか。
 最初は高校の後輩の弁護士に相談しました。「学校事故の裁判は難しい。学校内の情報は隠蔽され入手しにくい。行政側の仕事を受けている弁護士も多く行政を敵に回したくない」と話しました。私どもの弁護団の先生方はそれぞれの分野で本当に丁寧な緻密な書面を作成くださった。本当にありがたかったですね。
小野田 訴状準備などで当然のことながら弁護士さんが動いてくださった。ご家族が準備しないといけないものもたくさんありますよね。一番大変だったのは何ですか。
 同級生のお家を一軒ずつお伺いし、保護者様の同意を得て、聴き取りをさせていただく、また、お聴きした内容を文書にし、ご承認をいただくといったことでしょうか。
小野田 当時のテニス部員の同級生に聞いて回ってそれを録音して、それからテープ起こしをして、そんな感じの繰り返しですね。
 弁護士の先生が話を聞きたい箇所がもっとあるとおっしゃった時には、同級生が弁護士事務所に一緒に行ってくれました。「当時の練習は私たちしか分からないからキャプテン(梨沙さん)のために協力する」とお話ししてくださいました。
 地裁では「練習はきつかった」という証言を提出しただけでしたが、高裁ではテニスご専門の先生の意見書を提出するとともに、「練習の再現映像を提出してはどうか」とのご意見をいただき、同級生のみなさんに協力をお願いしました。みなさんは快く引き受けてくださり、事故当日の練習の様子を再現した映像を高裁に提出しました。
小野田 事故が起こるまでと、事故が起こってからの行動がどうなっていたかを再現してビデオにとって、それを裁判官が見るという現代的な方法ですよね。ビデオなら具体的にその練習量の過酷さ、置かれていた生徒たちのしんどさの程度がわかりますね。
5月24日当日の練習メニュー表 娘が病院に入院していたころ、顧問の先生に当時娘はどんな練習をしていたのか聞いたら、紙にその日の練習内容をスラスラ書かれました。当時は、娘が練習メニューを考えていたと言われていましたので、顧問の先生は練習に立ち会っていないのに練習内容を全部把握してすごいと感心したのですが、実は毎日自分がメニューを書いて渡していたんです。
 それと、地裁の時は熱中症についての医師の意見書は、お一人だけでしたが、高裁では、その医師がもう一度補充してくださったのと、それから医大の医師、精神科医、それからテニスの専門の権威の先生などにご協力いただけたのが大きかったのだと思います。

高裁での逆転勝訴、しかし上告

小野田 高裁で逆転勝訴になったのは、心停止の原因ですよね。急性心筋炎なのか、それとも熱中症なのか。この原因が熱中症ということになれば、先ほどの顧問の先生の詳細な練習指示メモがあるわけだから勝てるわけですね。校長の責任は変わりませんでしたが、顧問の先生が練習メニューの軽減措置をしたのか、そこが大きな争点になっているわけですが、地裁段階で一番力を入れたのは、心停止の原因が熱中症だったというところでしたか。
 地裁では、安全配慮義務とともに、熱中症発症の有無も重要な争点になっていました。
小野田 それらが結果的には十分訴訟としても立証できなかった部分があったので、それで高裁へと。地裁判決では、心停止の原因が熱中症と認めるだけの根拠はないとし、仮に熱中症が原因だとしても、顧問が練習軽減措置の指示を行うべきであったとまでは認めることができない、としています。その時の気持ちはどうでしたか。
 地裁の判決文を読みましたが、事実認定誤りが多く見受けられました。「顧問教諭は水分補給の指導をしていた」と県は主張し、判決ではそれが採用されるのですが、「熱中症の予防や対処について指導を受けたことは無い」と述べた同級生の陳述書についてはお認めいただけませんでした。
 また、「救急隊員や救急病院が体温を計測していないのは体温が高くなかったからであり熱中症とは言い切れない」と県が主張するのですが、私がその方々にお話をお伺いしたところ「心肺停止の方の血圧や体温を計っている余裕などない。心肺蘇生に懸命だ」とのことでしたので、私の陳述書で述べましたが、残念ながらお認めいただけず、県の主訴が判決要旨になりました。「執刀医は熱射病で心停止に否定的」との県の主張も採用されましたが、主治医は当初から、「心筋炎の可能性もあるし熱中症の可能性もある」とした書面を作成しておりました。倒れる以前、風邪をひいて病院に行ったこともあったのですが、県側の書面に「顧問教諭から体調不良を指摘され、病院に行き過呼吸と診断された」等事実では無いことが地裁では認定されていました。
 判決文には私たちが学校側の説明を拒んでいるような記述もありますが、それはまったく反対です。私たちがいろいろなことをお尋ねしても学校側が拒みました。それで県会議員に私がお願いにあがり、ようやく会議が行われたのが10カ月後でした。しかし、神戸地裁では「学校側が県会議員にお願いして初めて話し合いが持たれ、それでお父さんがようやく出てきた」と変わってしまっていました。
 地裁では、県の主訴は正しいが前提にあり、私どもの意見は全て否定的であったと思います。結論ありきの判決には大変悲しい思いをしました。大阪高裁では事実では無いこと全てに対して反論したかったのですが、重要なポイントに絞って証言や証拠を集め、提出いたしました。
小野田 高裁での審理はすごく短期間でしたよね。1年で判決が出て驚きました。
 2回目でもう結審でした。
小野田 すると2回で結審すると言われて驚いたわけですね。本気で審理をする気があるのか不安になりますよね。証人申請はしていたんですか。
 地裁では娘の同級生に出廷いただくのが申し訳なかったので、敢えて呼びませんでした。高裁ではお願いしたら来てくれることになったのですが、大阪高裁にはその必要はないと言われました。この時は少し落胆しました。
小野田 高裁判決では、熱中症をきちんと認めて、それとの因果関係で顧問の先生の練習メニューの軽減が足りなかったと認定されました。そこが一番大きいですよね。ここで確定せずに上告されてしまいますが、高裁判決が出た時のお気持はどうでしたか。
 地裁では私たちの根拠や証言・証人のある主張が否定され、県の主張は根拠のないものまでが採用になりましたので、高裁での判決は本当にありがたかったです。
小野田 ようやく勝ちました。だけど向こうは上告をしましたよね。いつごろだったのですか。
 上告の期限は14日以内ですが、ぎりぎりですね。
小野田 今は結局、最高裁ではどんな状態になっておられるのですか。
 兵庫県が大阪高裁判決に対する反論をしていますので、それに対する書面を提出しています。

現場の熱中症に対する知見

小野田 熱中症についてなんですが、今年(15年)3月26日のNHKの『おはよう日本』で特集され、梨沙さんのケースも取り上げられました。そこで友添秀則教授(早稲田大学)が安全面での医科学上の知見が現場の顧問に浸透していないことが問題だと指摘されておりました。ようやく国も動きだしまして、体育活動における熱中症予防調査報告書はこの数年で実にたくさん出されています。基本的にこれらを作ったのは日本スポーツ振興センターです。事故報告書もいろいろなものが出てきて、スポーツ事故、取り分けて熱中症についてもようやく関心が高まってきたように思います。この事についての思いをぜひお聞かせください。
 熱中症はこまめな休憩と水分補給、これだけで十分防げると思います。娘の場合は、10日ぶりの練習で体力が落ちていて、しかも暑さに十分慣れていないにも関わらず3時間の練習の間まったく休憩がありませんでした。そんな過酷な練習をする必要はなかったと思います。私たちは、無知で無理な練習をさせても意味がないと考えています。練習には知識と科学的根拠が必要です。
 娘が入学する前にも「保健だより」にちゃんと書いてありました。保健の先生は熱中症に用心しようと注意を喚起していました。でも現場の顧問の先生には浸透してなかったのですね。本当に残念です。
小野田 この高校の「保健だより」は分かりやすく書いてありますが、03年の日付ですね。事故の4年も前じゃないですか。
 裁判では、顧問の先生が立ち会わなかったから提訴したとよく言われますが、決してそんなことはないです。事故が起きないよう安全対策を考えて置くべきではなかったかというのが我々の主張です。
 一審では、学校が決めた学校外の練習場所で、顧問教諭が厳しい練習メニューを課したが故に発生した事故でしたので、学校に非があるとの主張をいたしました。それが全く通じなかったので、我々が言っていることが本当はおかしいのかなという気がしました。だって学校が指示したところで学校の顧問の言われた通りにがんばって練習して倒れて、それで学校に責任はありませんよ、なんて言われたら。
小野田 顧問の先生はいかがでしたか。
 顧問教諭は「当日の練習内容について、私が紙に書いてキャプテンに指示した」と認められていましたが、裁判では「練習内容について指示したかどうかはわからない」と変遷されました。上の方から圧力がかかったのでしょうか。残念な思いになりました。
小野田 箝口令を敷いていたということですね。本日は貴重なお時間をとらせていただき、本当にありがとうございました。

編集後記

◆梨沙さんは美しくなっていた。5年前は「ちゃん」と呼びかけたが、今回は「さん」と呼びかけた。むろんそれだけでは反応はない。「濁音が好きだったんだ!」と思いだし「梨沙ど〜ん」というと笑い出した。「小野田せんせ。いま梨沙はパ行・バ行にはまっているんですよ」とご両親。確かに耳だけは聞こえている。楽しいと笑うし、悲しいと涙も流す。「綺麗でしょ? 私に似たんですよ」と父。「いいえ、お母様の遺伝子です!」と、以前と同じ掛け合いをした。梨沙さんはそれを聞いて笑い出した。
 家の中は本当にきれいに整えられ、玄関には生花も飾ってある。私の場合は、研究室も家の中もしっちゃかめっちゃかなのに、この居住まいの清潔感ときれいさには驚く。暗い現実との共存はこれからも続くが、明るさを絶やさないようにしているご両親の愛に包まれている梨沙さん。しかし彼女の目は、あの日以来見えないままである。(小)
◆先日、盛岡で開催された養護教諭の研究大会に参加したとき、運営担当の先生が「私たちは子どもの命を守るスペシャリスト」という気持ちで日々の仕事をしている、と仰っていた。久しぶりに聞く教師の誇り高い言葉に一瞬胸がつまった。子どもの生命を育む学校で、安全が脅かされ、かつ校長の対応が杜撰であったら親も子どもも救われない。学校から事故をなくすためにも先生方の誇り高い言葉をもっと聞きたい。(入)

2012.8.14 朝日新聞
2013.6.12 神戸新聞 閉ざされた未来①
2015.5.23 神戸新聞 事故から8年
2015.10.14 神戸・朝日 最高裁要請書提出
2015.12.17 神戸新聞 最高裁県棄却
2015.12.22 神戸読売産経 知事会見
2015.12.24 神戸新聞社説

兵庫県立龍野高校 部活中の事故 最高裁に署名提出 家族の会見

(2015年10月13日 NHKニュースKOBE発)


<部活事故>兵庫県に賠償命令 「国際線CA」夢だった女性

(「ありがとう 浜村淳です」より)