石田僚子さん追悼20周年記念文集

高塚高校校門圧死事件から二◯年経って

高橋 智子

 四月二五日が近づいてくると、どうしてもJR宝塚線脱線事故のことを思い出してしまう。もう五年も経ってしまった。新聞で二◯一◯年三月二六日に神戸第一検察審査会が井手正敬元会長ら歴代社長三人を起訴すべきだと決議したことを知った。今後、歴代社長三人を業務上過失致死傷罪で起訴することになるらしい。
 脱線事故で娘を亡くした大森重美氏は「娘たちの死を無駄にしないためにも、事故がなぜ起き、どうしたら同じことが繰り返されないのかを考えたい」と言い、息子を亡くした木下宏史氏は「懲罰的な日勤教育、余裕のないダイヤ……。社員の育成や乗客の安全より利益を優先し、こうした要因を積み重ねた結果事故が引き起こされた」と言っている。
 石田僚子さんのご両親も高塚高校に対して同じ思いを今も持ち続けているに違いない。あの時、学校に対しては「娘の死を無駄にしないでください」の一言だった。
 二◯一◯年四月二◯日には元明石署副署長が業務上過失致死傷で強制起訴されている。明石歩道橋事故(二◯◯一年七月)のとき、「ビデオカメラの映像や携帯電話などで現場の状況を十分に確認せず、警察官を出動させるなどの規制措置を怠った」と検察審査会では判断している。七か月前に同じ場所で実施されたイベントでも危険な混雑が生じていたことを踏まえ、警備計画の不十分さを認識し、「事故を予見できた」と指摘している。検察審査会の判断を受けた起訴は全国初とのこと。
 こういう報道を読むと、どうしても石田僚子さんの死を思い出してしまう。二◯年前校門を凶器に変えたのは誰だったのか。いまだに調査報告書一つなく、校門を押した教員一人を罰して終わっている。県教育委員会は事件後いち早く「一教師と一生徒のこと」と宣言し、それで通してきた。生徒の保護者に事件について説明する機会を二回もったが県教委からは誰も来なかった。二回目、保護者から「何故県教委から誰も説明に来ないのか」と質問が出た時、県教委から高塚高校に転勤してきた校長が「私が県教委です」と答えたことを鮮明に覚えている。
 もし今のように検察審査会なるものがあれば誰を起訴できただろう。明石歩道橋事故を参考にすれば校長と県教委の施設課長は免れないだろう。石田さんの前にスカートを挟まれたり、傘を挟まれたり、他校では自転車を挟まれたりした生徒がいたのだから事故の予見はできたはずだ。
 また、JR脱線事故を参考にした時歴代社長三人に当たる人は誰だろうか。生徒が急増するのが分かっているのに条件整備を怠った歴代教育長三人だろうか。国の基準を越えて生徒を入学させている分については県の責任と聞いている。その部分の教員の配置も県が負担しており、組合の方に聞くとどんぶり勘定(国の定めた教員定数法に則っていない。国は一学年八学級までしか想定していない。当時の高塚高校は一学年一一学級で一クラス四七人。全校で三三学級になった年の一学期の期末試験第一日目が七月六日だった)だと言っていた。施設も教員の数も生徒数に対応していなかったことは毎日の学校生活を体験していた誰もが認識していた。組合からも校長交渉で教員を増やすよう要求していた。しかしこの危険な状態に対して責任を持って対処する人は誰もいなかった。
 現在高塚高校は学級数が減り、生徒数は二◯年前のほぼ半分になっている。昨年の七月六日はあの時と同じ試験の第一日目だったが、校門に教員は一人もいなかった。二◯年前三人もの教師が拡声器で「早く歩きなさい」と叫んだり、門を閉めたりしなければいけなかったのはなぜなのか。この原因が校門を凶器にしたのではなかったか。避難訓練の時消防署の方が「四分以内に全員外に出ないと焼死者が出る」と話していた。その時、七分かかっていた。
 JRと明石の二つの事故被害者が粘り強く原因究明の努力をした結果、トップの責任を吟味することができるまでになった。高塚高校校門事件体験者の一人として今後の動きを注視して行きたい。

(たかはし・ともこ 元高塚高校教員)

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