高塚高校事件を回顧する

橋本 幸子

 高塚高校の石田僚子さんが教師の閉めた門扉に挟まれて即死されてから十回目の命日がやがてきます。その後の学校事情はどうなっているのでしょうか?大いに気になるところです。
 十年という歳月が この痛ましい事件を風化させ、一般市民が口にすることはなくなりました。しかし、この事件を教訓に教育の民主化を計り「生命の管理はもうやめて」の主張をつづけてきた運動家たちにとっては悲観的な現実を知るのです。
 正に権力との戦いであった十年間の軌跡は ふり返ってみて、よくぞここまで続いたものだという思いです。
 裁判闘争は最高裁まで上告しましたが、今年棄却(敗訴)しました。私はこれを機に 何故この事件がおこったのかを考えたいのです。
 〈起こるべくして起こった事件〉
 生命の管理はもうやめての編集役になってもらっている所薫子さんは かって中学校の男子生徒の丸刈りを強制する市教委と対峙してこの丸刈り問題にとり組まれた女性です。当時丸刈りが強制されていたのは、県庁所在地では、鹿児島と福島と神戸だけでした。
 これは決して自慢になることでもなければ名誉なことではありません。むしろ県及び市教委のこの姿勢が問題なのです。元凶はここにあると考えられます。つまり子供の人権の何たるかも弁別出来ない行政の劣悪さにあります。
 一、 おかしかった校則
 私の勤務した高校の生徒には「生徒手帳」が渡してありました。身分証明にもなるもので、常に携帯が義務づけられ、生徒の服装や起居動作について細かく定めた「生徒心得」などが入っていました。その内容は 各々、中、高校で多様でしたが してはいけないという禁止条項づくめでした。
 学校生活内規には 靴下は白の無地、ワンポイント・ライン入りは禁止、天然パーマの生徒には証明書を発行。男・女とも制服を着用し マフラー・手袋は校門に入る前にとること 等々 この他にも帰宅時間の規制 映画館の入管制限、飲食店の出入り禁止等々 禁止事項が列記してありました。
 これら校則の規定は、校内のみならず校外生活にまで及ぶもので厳しい アメリカのニューヨーク市でも ドイツのシュトウットガル市でもこんな規定はありません。
 そもそも学校外のことは 親が責任と権限を持つのが当然でしょう。
 しかもこの頭髪から靴まで文字通り頭の先から足の先まで、一挙手一投足に細かい気配りの禁止項目を並べた生徒手帳を、生徒はお守りとして所持していたわけです。
 ここで問題の高塚高校の校則をみますと、(量が多いので 割愛します。)
◯ 上履きのスリッパで地面に降りないこと
◯ 男女交際は保護者の証人と指導のもとに高校生としての生活を逸脱しないものであること
◯ 上衣は授業中担当教諭の許可を得て脱ぐこと
◯ 靴下は男子は白無地ソックス、女子のストッキングは肌色のみ
◯ セーターの色は白、紺、グレーの無地・型はVネックの平織り
 更に、右のような細目とは別に基本的心がまえが記載されていました。遅刻防止は基本的心がまえの第二番目にランクされており第一番目は服装の端正でした。
 このような校則により生徒をがんじがらめにしていた管理主義こそ 校門圧死事件の真の原因というべきでしょう。管理主義は形式的、画一的な指導で生徒の判断力を育てないだけでなく、教師の判断力も奪ってしまったのです。
 校門圧死事件を教訓に同校では生徒の自主性を育てる目的で生徒心得の改正が行われたとのことですが、文部省→教育委員会→校長の絶対的な管理体制が無くならない限り 教育現場の教師はロボット的存在なのです。
 高塚高校校門撤去の日、それを阻止する人々を遮ったのは外でもない校長に召集されたPTAの役員でした。私はこのPTAの役員に肘で突かれた時 やむなく通用門から出ましたが つくづく思い知らされたことは 権力に肩入れする父母の組織が、教師の重圧にもなっているということでした。
 忘れもしませんが頭上にはヘリコプターが低空を旋回し取材をしておりました。この時役員らしき母親は「邪魔やナー ウチの子が補習授業受けトンヤ」でした。
   教育改革への道
 昔も子供が親に折檻される児童虐待はありました。しかし昨今の様相は大人の無知蒙昧、身勝手のすぎるものが多すぎるとおもうんですが・・・
 子供にも身体、生命を保護される権利があります。人である限り当然認められる権利は保障されねばなりません。子供は成長発達していく存在です。子供には大人や社会に対して 自らの成長を保証するよう求める権利があるはずです。親も教師も子供の命の尊厳と養育される権利の主張を認めることから基本的に考え直さなければならないと思うのです。
 石田僚子さんが教師によって殺されたという悲惨な事件を機にして校則の見直しが行われても 子供の権利という視点を欠いた校則の改正で、管理主義を完全に克服することなしには改革は出来ません。子供の権利の視点がないと 丸刈り規制も靴下の色の指定も 同じレベルの問題になってしまいます。丸刈り規制や校門の命にかかわるような閉門は、学校内で一時的に服装を規制されることとは 比較にならない重大な人権侵害なのです。
 おかしな校則の条文が改正されても 学校で行われる管理教育の実態が変わらなければ 何にもなりません。ようやく神戸市教委は中学生の丸刈り規制を廃止し僅かながら前進したようですがー
 私は大人が変わらなければ即ち大人自身が己の人権を正しく主張する勇気をもって、教育の場に市民の風を通し 現場で生徒指導に当たる教師の支えにならなければ、改革は出来ないと思うんです。
 その目的のために「生命の管理はもうやめて」という市民活動が何ほどか役に立ったでしょうか、そうあることを信じて終わります。

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