学校の壁が崩れる日

関西フリースクール研究会世話人  堀 克祐

 今までの学校の仕組みが、時代の動きとズレてることは誰が見ても明らかや。遅刻について言うたら、全員が同じ時間に一斉に仕事せなあかん、いうんは工場労働の論理であって、少なからぬ職場でフレックスタイムが導入されつつあり、パソコン・ネットを活用した在宅勤務(SOHO)が注目されている時代に、効率も悪ければ楽しくもない一斉授業いう方式にこだわり続ける学校の保守性には度し難いもんがある(国語とかで、正解のない問題をみんなで考える、いうんやったら意味があるけど)。しかもそこで提供している知識は、社会生活ではほとんど使い道のないもんばっかりや。要は、小、中、高の十二年かけて、壮大な知能テスト(主に記憶力しか調べられへんけど)をやって、人間を選別する機能しか果たしてない、いうことや。文部省に限らず、官僚統制は旧ソ連みたいに必然的に硬直化する。民主主義が機能していれば、選挙を通して変えていくことも可能やが、戦後五十五年たって、権力者の思惑がみごとに成功し、人々、特に若者が、民主主義に対する信頼を全く失うた。ファシズムまであと一歩や。ぼくは、学校現場で民主主義が実現されてないんが最大の問題やと思う。「超学校」(一光社)読んでくれたら、民主的な学校いうんがどんなもんかわかるわ。「それしかない」いうんで「配給制」の学校システムで我慢してきた日本人が、もっと魅力的な多様なオールタナティブを目にしても、なおかつそっちを選択せんとしたら、そこには「人と違う」ことに対する病的な恐怖心があるに違いない。それ自体、多分に学校の集団主義で作られたもんやけどな。おそらく一番のネックは、学歴がなかったら生活に困る、いう恐怖心で、それがほとんどすべての改革を封じてきた。そやけど、学歴があっても生活が安定するとは限らん、いう情勢になってきて、それやったらどこでも通用する実力をつけた方がええやないか、いう風に考えるんが論理的やわな。何か一つ外国語を身につけて、海外で暮らすことも視野に入れた方がええ。狭い所でウジウジしてるより、飛び出した方が精神衛生にもええで。
 ベルリンの壁が崩れた時、歴史いうんは変わる時には劇的に変わるんや、いう感動があった。学校の壁が崩れたら、みんなでお祝いに、校庭の真中ででっかい花火を焚いて、教科書とか、みんな燃やそう。それで明治以来の学校体制の悪夢を払うんや。

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