政治

香港のデモと若者

藤田 敏則

 逃亡犯条例改正案に端を発した香港市民の抗議デモが長期化して収束の兆しが見えぬ中、北京 (中国) の動向に世界が注目しています。かつて (1997年迄) 香港を統治していた英国が「返還後50年間現行制度変更せず」の協定があるとしても既に権益を手放したこの地の先行きにさほど関心をもっているとは思えません。ましてEUからの離脱問題で国内が混迷する中、英国の香港への積極的な関与はのぞめないでしょう。
 若者達の未来への不安から始まったデモですが、今日までの高度な自治が失われる事を望まない一般市民も巻き込み拡大、鎮圧に当たる警察及び行政長官との亀裂は深まるばかりです。中国としても国際社会の衆目の下、天安門 (1976) の再現は避けたいはずです。しかし中国政府報道官の発表を見る限り楽観出来ず先行きは不透明です。
 一方、日本国内に目を移すと今回のデモに対するこの国の政治家達の関心の薄さには幻滅させられます。連日大々的に報じられた香港市民のデモを知らない訳はありますまい。日本政府が外交関係を損ねかねない見解を控えるのは理解できるとしても国のあり方を論じるはずの議員諸氏の発言が与野党を問わず聞こえてきません。周辺国の人民の自由や人権問題から目を背け見て見ぬふりをする理由とは何なのでしょうか。自国の利害に直接の影響が少なく、国民全般の関心もさほどないデモへの発言が『票には繋がらない』と言うのなら選良達の民主主義そのものを重んずる気概が疑われます。敗戦によって所与された民主主義ではあれ、私たち国民が70年に渉り行使してきた自らの主権の大切さに今一度想いを廻らせて欲しいものです。
 この夏の参議院選挙の折り、安倍首相の遊説先での応援演説中にヤジを飛ばした聴衆の一人が警察官に会場から引きずり出される出来事が滋賀県と北海道でありました。新聞での取り上げ方が小さくあまり話題になりませんでしたが、戦後の国政選挙史上かつて無かった事、とも報じられていました。権力や権威に纏わぬ人々を排除しようとする動きの始まりなのでしょうか。何かしら冷たい風に背筋を撫でられた如く感じました。自らの支援者のみを前にしての演説や、異論に耳を傾けようとしない為政者のあり方に―兆し―を感じるのは大袈裟でしょうか。権力の本質に潜む「病い」は監視と点検の隙を窺い奈落へと突き進む危険をはらんでいる事は過去の教訓からも明らかです。
 香港が近い将来、若者の望むようなカタチに決着するとは思えません。一国二制度の矛盾を残したままでの解決は難しく、徐々に本国 (中国) に呑み込まれていくのが常套でしょう。しかし、仮に中国全体の香港化 (民主化) が可能ならばこの問題自体が無くなりますが、その実現には半世紀近い時間が必要かもしれません。そうした中、全体主義に抗う若者達が弾圧に屈せず自らの主権を守る為に立ち上がる姿には羨望を覚えます。それにしても《日いづる国》の参院選、18歳に引き下げられた選挙権を殆どの若者が行使しない現状には考えさせられます。国民一人一人の自由と人権は一遍手放したら容易に取り戻せんことを肝に銘じとかんとあかんがな。

Tags
続きを読む
Back to top button
Close
Close