二◯年の月日

秋田 真志

 高塚校門事件が起こった一九九◯年当時登録二年目、ひよっこ弁護士だった私は、いつの間にやら二二年目、ばりばりの中年弁護士になってしまった。長女はまもなく一七歳、あの日の石田僚子さんと同じ高校二年性である。
 さすがに二◯年も経つと、様々な経験をする。個人的なことを言えば、一九九一年に起こった信楽列車事故の訴訟が思い出深い。受任当時は、解決の道のりは、途方もないように感じた。実際、判決の確定まで一一年半を要した。しかし、それも今はもう遠い昔話になってしまった。
 二◯年経っても、なかなか進まないこともある。大阪弁護士会の刑事弁護委員会の一員として、一九九二年に取り組み始めた取調べの可視化問題は、警察や検察の頑迷な抵抗の前に、今なお現在進行形である。
 振り返って、高塚校門事件の背景にあった管理教育は、この二◯年でどうなったのだろうか。娘は高校生であるが、放任主義の私には、正直語る資格はない。ただ、この二◯年で、監視社会が確実に進行していることだけは間違いなさそうである。

(あきた・まさし 弁護士)

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