子どもや若者たちを支えるネットワークを

田中 英雄

 日本の高度経済成長政策は自然を破壊しただけでなく、子どもや若者たちのからだや心や魂にまで届く深い傷を残してしまったように思う。高塚高校事件の、悲しむべき、痛々しさは、振り返るたびに涙なくしては出来ない。それは当時進行していた日本社会を襲い始めていた、酷薄で冷酷な社会変化を予兆していたのだと思う。
 経済の成長のために行われた競争原理は動物実験でも明らかにされたが、「いじめ」と「排除」を産み出す。同一年齢間では相互のいじめは烈しいが、異年齢間では「いたわり」「優しさ」が産まれる。
 異年齢集団としての家族が、戦後しばらくは昔の大家族ほどでもなく、中家族程度であった私たちの世代(一九四五年から一五年間)では、競争はあったが、子ども集団の遊びの力と貧乏ではあったが家族の力が、競争を無化させていた。
 だが、今は違う。子どもだけでなく、若者も、大人も、病理的に思うほど、社会全体が、弱い者をいじめて快感を味わっているようにさえ感ずる。自分がいじめを受けているにもかかわらずにである。マスコミ、週刊誌が何かをバッシングすればするほど、売れる姿は不気味で、ファシズムの到来を予感させる。
 物言わぬ自然をいじめ、傷つけ、危険な廃棄物だらけにしている代償として、地球は高温化に向かいつつある。にもかかわらず、人はいまだ「高度成長時代」をなつかしんで「経済発展」を願う。願わなければ若者の就職は叶わない。一体どうすればよいのか?
 とりあえず考えられることを始めるしかない。三年前に始めた保育専門学校に通う学生の中かなりの者が「経済的に貧困」である。今ある「学生支援機構」はごく一部の学生の身を「金銭面」からしか助けない。貧しくても、相互に扶け合うネットワークが築けないものだろうか。一方的に助けられるシステムではなく、お金の中に人の温かい心と励ましがリアルに感じられるつながりが、子どもや若者たちを支えるのだろうと思う。志ある人たちの賛同を得て起ち上げる準備をしているところである。大きなことはできないが、小さな夢であったマイホームさえが、さらに壊れ、シングル化する社会の中で、魂が活き活きとする小さな「つながり」がタテにもヨコにも網のようにつながり合うことを願わずにおれない。

(たなか・ひでお ちびくろ保育園園長)

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