その後の二◯年

久貝 登美子

 石田僚子さんが「校門圧死事件」で命を奪われてから二◯年という時が流れました。当時、我が家の娘は五才。事件後に開かれた集会や門前追悼に、父親共々親子三人でたびたび参加しました。その娘も今は二五才になりました。
「校門圧死事件」と前後して、学校教育が厳しく問われる事件がつぎつぎと起こり、一方で「不登校」が一二万人を越え、大きな社会問題になっていました。そうした事から学校教育に自由を求める気運が強まり、各地にフリースクールや子どもの居場所が誕生しました。私もフリースクールと出会い、強制ではなく子どもの自由意志を尊重するというフリースクールの理念に共感していました。そこから更にホームスクーリングという方法に出会い、子どもが育ち学ぶのは家庭であるという全くシンプルな事実を「発見」したのです。そこで私は一九九三年に「ホームスクーリング・ネットひめじ」を呼びかけ、学校に行かないで育つ子どもとその家族の交流・支援と言う活動をささやかながら続け、現在に至っています。
 娘は六才になると彼女の意思で小学校に入学し、九才でホームスクーリングを選びました。その後は一日も学校へは行かず、一五才で「義務教育」を終えました。ホームスクーリングでは家庭での生活や子どもをとりまく世界すべてが学びの場であり教材となります。私は親であると同時に共に学ぶパートナーとして、娘が親元を離れて一人で彼女の人生を歩き始めるまで、時間や体験を共有してきました。それはとても大きな満足を私の人生にもたらしてくれたと思っています。
 ホームスクーリングの日々の中で、娘と二人で、あるいはネットの友人たちと公園や博物館などの施設を訪れることが多かったのですが、学校や保育園・幼稚園の集団と出会うことがよくありました。そんな時、集団として扱われる子どもたちと引率者の教師たちが繰り広げる光景を見ていて、とても違和感、時に嫌悪感を覚える私がいました。整列させられ、号令をかけられる子どもたち。学校を通過して大人になった私も遠い昔、そこにいる子どもたちと同じような経験をしたはずなのですが、今はそれを受け入れることができません。
 二◯年経った今、学校は何かが変わったでしょうか……。

(くがい・とみこ ホームスクーリング・ネットひめじ)

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